KUROのブログ

黒崎政男〜趣味の備忘録

 新年度になって、今日は大学の入学式だった。久々に大学に行ったのだがその帰り道、ひさしぶりに行きつけの骨董屋に寄る。そこで、江戸時代中期に作られたと思われる、釈迦誕生仏に出会う。右手で天をさし、左手で地を指さして、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」と語ったという、釈迦降誕の姿を表した像である。
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十数年前に仏教美術収集家の先輩から、誕生仏だけは数を持ったらダメだ。その家に一点だけにしろ、と教えられていたので、ついつい、入手するのに躊躇していたのだ。けれども、今日は、なにやらこの江戸時代中期作と思われる仏様が、すーっと私の心に入ってきたのである。思えば、釈迦の誕生日の花祭り(灌仏会)は三日後の4月8日だ。入手するには、なんともベストタイミングではないか!
店主にきくと、これは仏像コレクターの家からふっと出てきたものだ、という。だから値段もとても安価に設定されてた。もう、即決である。
 これで、仏像コレクターの端くれとして、ようやっと欠けていたものが揃った感じだ。これまでコレクションしてきた掛仏(鎌倉時代)や仏手、小金銅仏(奈良時代)に混じって、ちょっと若いが(江戸生まれだ)、この誕生仏は偉そうに天と地を指さしている。
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 掛仏(鎌倉時代)高さ9cm



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仏手(時代不明)約20cm


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小金銅仏(奈良時代)高さ3.5cm
 



せっかくの花祭りなのだから、その灌仏会のやり方、潅仏盤に見立てた漆盤の中心に安置して、花も添えよう。ちょうど、啓翁桜があったので、それを添えよう。
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わが部屋は、新鮮な生まれ変わりの気分に満ち満ちた、のである。
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大晦日に届いたアナログ誌。
元旦にパラパラめくってあちこちみていると、

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武田清一氏のジャズ編「思い出の種」と題された記事のなかに、「⑧拙者の御神盤と言えるもので、彼岸や盆暮れは必然、何かにつけ拝聴つかまつる版でござる」という記述を見つける。

「淑女ワイリーの歌声。ああ何ものにも代えがたい不滅の名曲である。」

えっと、私、全く知らない!リーワイリーの名前だけは知っていたが、そんなに名盤があるのか。そこで紹介されていたのは全8アルバムで、最初の7つ(アニタ・オデイやメル・トーメやエラやチャーリー・パーカー)までは、ほぼ見当がつくアルバムたちだった。だが、
⑧Lee Willy/ Night in Manhattan  (columbia CL 6169  10inch 1951年)
は私はノーマークだった。これまで見たことも気にしたこともなかった。 

 ☆

早速はTadalで聞いてみる。いいねえ。上品で味があって、今日では失われてしまった情感に満ちた音楽だ。




オリジナルのジャケットがまたいい。紫色のグラフィック調。
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こりゃ大変だ、早速手に入れなきゃ!ヤフオクを見ると、貴重なオリジナル盤を<即決>で出品している人がいた。そして早速落札。次の日、正月の3日に届いた。そして、今日4日には、もう昔から掛け慣れたレコードのように、リー・ワイリーがターンテーブルの上で楽しそうに回っている。


 

ブルックナー9スコア
(ブルックナー交響曲第九番第一楽章の自筆譜 巨大な音の集合体)


無伴奏と大編成

 

 

私は若いころから、長い間、最高の音楽、もっとも精神性の高い音楽は<無伴奏>だと考えていた。もちろん念頭にあるのは、J.S.バッハの「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ」(BWV1001~1006)や「無伴奏チェロ組曲」(BwV1007~BWV1012)であることは間違いない。しかし、なにもバッハだけに限るわけではない。たとえば、普通はなんとなく気楽な曲でみちているテレマンでも、彼の「無伴奏フルートのための12の幻想曲」の崇高性や孤高性はどうだ。あるいは、C.P.Eバッハの「無伴奏フルートソナタイ短調」だとてその幽玄な精神性はなんともすばらしい。

へリンク・シェリングの演奏するバッハの無伴奏バイオリン(グラモフォン、ステレオ盤、1967年)は、それを聞いていると、極めて実存的な気持ちになった。
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私がこうやってここに存在していることの深淵のようなものを抉ってくるような極めて精神的な演奏だった。それは1人の人間が孤高に向かって語る無伴奏だからこそ、と感じていた。演奏は、私からすれば、デュオ、トリオ、カルテットと編成が大きくなればなるほど精神性は薄らいでいく。その頃はこう固く信じていた。

    ★

ところが還暦をすぎたころから、無伴奏とは正反対の、大編成オケの音楽がとても魅力的に感じるようになってきた。例えば、後期ロマン派アントン・ブルックナーの交響曲。その編成の巨大さは、無伴奏のソロ楽器とは対極にある。例えばブルックナー最後の交響曲第九番では、楽器編成はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、トランペット、トロンボーンが各3本。ホルン8本、バスチューバ1本、ティンパニ1台、弦楽5部。音は超多彩で超分厚い。楽譜をみれば1ページに6小節しか書けないほど、巨大な音の集合体である。五線譜が25段もある。これが同時に鳴る。巨大なカトリック聖堂に飾られている多くの彫刻の聖者たちが一斉に声をあげてくる感じだ。作曲者自身、どんな音の重なりになっているのか、この楽譜でどのぐらい想像できているのだろうか。指揮者はこの楽譜を見て、どのぐらい具体的に音を想像できるのだろうか。1ページに一曲が書かれてしまう無伴奏とはまったく別の世界である。
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ブルックナーの交響曲第九番を聞いていると、――だいたいは1960年代の名演(オイゲン・ヨッフムやカール・シューリヒト指揮)を当時のLPレコード(初期盤)で聞くのだがーーいや、聞いているというよりは体験しているという感じで、喩えていえば、なにか宗教的儀式のなかに包まれているという体感。きわめて崇高だが深く癒やしてくるような音の洪水。「無伴奏」にあった「精神性」というよりは、むしろ、「魂が浄化される」といった趣である。約60分の法悦の時間があっという間にすぎていく。

      ★

ブルックナーの魅力にとりつかれるようになったきっかけは、しかしながら、精神性や宗教性とかいった問題ではなくて、実はオーディオ・チェック・レコードとして、とにかく巨大編成オーケストラのものを選んだだけ、というきわめて即物的なものにすぎなかった。

 オーディオという趣味は、LPレコードをいかにいい音で鳴らすかという1970年代から80年代にかけて大ブームとなったものだ。当時、多くの家で男子は巨大スピーカーや多くのアンプを並べて「いい音」を出すことに苦心していた。その後、気楽にまあまあの音がするCDipodで聞けるデジタル・ファイル音源などが登場してきて、オーディオブームは大きく下火となった。

だが、実はオーディオ装置は今日にいたるまで、着々と進化を遂げてきているのである。昨今のアナログ盤ブームは、単に昭和へのノスタルジーとしてレコードを聴く、というだけにとどまらず、LPレコードが実にすばらしい音でなるようになって来ていることも要因のひとつだ。当時は無伴奏のレコードは比較的いい音で鳴ったが、大編成オーケストラは、音が団子の固まりになって、ごろんとなるだけ。なんの魅力も感じようがなかったのかもしれない。しかし最新の進化したオーディオ装置でそのLPレコードを聴けば、従来なら分離せず固まりになっていたのがクリアに文節化する。私のLPプレーヤーのトーンアームやカートリッジや回転系モーターのグレードが上がるたびに、編成の大きな音楽が魅力的になるようになった。例えば、オーケストラ内でクラリネットとファゴットのデュオもそれぞれの音色が心地よく聞こえる。全楽器でフォルテシモのフィナーレも音が割れることもなく、きわめて心地よく音楽が鳴り響きわたる。LPレコードからここまでのいい音を引き出したのは、21世紀の我々なのではないだろうか。かつては決してこんないい音は誰も聞けなかったろう。そして、LPレコードの一本の溝(グルーブ)に、まだまだ無限の宝が眠っているようにさえ感じる。
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こんなわけで、無伴奏曲や巨大編成オケ曲にどう魅力を感じるのかは、実はオーディオ装置のクオリティの問題に帰着するのかもしれない。<精神性>から<魂の浄化>への変化は、おそらく<装置>という下部構造に規定されていたのかもしれない。

    ★

鶴田留美子ピアノリサイタル。昨年から、ピアノ協奏曲のオーケストラ部分を室内楽編成にした版を使用して、コンチェルトまでレパートリーを広げる、という手品のようなアイデア。昨年はこのおかげでショパンのピアノ協奏曲2番をサントリーホール・ブルームローズで堪能することができた。今年はそして、なんとモーツアルトの名曲中の名曲、ピアノ協奏曲20番二短調K466だ。なんというど真ん中。27曲あるモーツアルトのピアノ協奏曲のなかでもこの二短調はひときわ最高峰。今日はとても楽しみだ。

 それにしても、オーケストラ大編成と室内楽編成のこの差、オーディオ装置だったら、どういう装置でどう聞くのか、大問題となるのだろうが、ライブだとこの問題は一切生じてこないように思う。なぜだ、なぜなのか。生と録音再生の間にはどんな差があるのだろうか。こんなことを考えながら、今日は鶴田留美子のショパンとモーツアルトを堪能することにしよう。
(この文章は、鶴田留美子ピアノリサイタル'21(サントリーホール9/11)のパンフレットに寄稿したものである)

20211024_無伴奏と大編成
鶴田留美子パンフレット表
 


 

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