KUROのブログ

黒崎政男〜趣味の備忘録


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オーディオ装置で、スピーカーをLINN EXZAKT Akudorikに変えてから、さらに大編成の交響曲ばかり聴くようになっている。音場の作り方がきわめて立体的で奥行き感があり、まあ3Dのようだ。
しかもピアニッシモ(pp)やピアニッシシモ(ppp)の音がきわめてしっかりとなってくれるので、ホルンやハープなどのソロが弱音で続くマーラー九番の第1楽章は、もうこの装置以外では聴けないのではないか、というほど沁みる鳴り方がする。というわけで、毎日毎日、深夜にヴォリュームを絞って、マーラー9番をきく、という生活が続いている。
 しかし、演奏LPは、驚くほどたくさん出ている。ワルターのコロンビア盤、バーンスタインのアムステルダム盤とベルリンフィル盤、カラヤンのベルリンフィルスタジオ盤、アバド盤、バルビローリ盤、ジュリーニ盤などなど。CD盤も含めると、ほんとにどれを聴いたらいいか、迷いに迷う。

 甘美な過去を慈しんで回想している(と私には強く感じられる)ような第1楽章の第一主題
 \relative c' { \key d \major \time 4/4 \partial 4 \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 4 = 60
fis4->\p^\markup{\smaller \center-align (Vn.)}( e2) r4 fis->( e2) r4 fis8( a8) a2 r8 fis8( g b) b4( a) r
}

と、きわめて現実的に襲ってくる暗雲(と私には感じられる)を表す第二主題 \relative c' { \key d \minor \time 4/4  \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 4 = 66
r8 a8\f(^\markup{\smaller \center-align (Vn.)} cis4. gis8( a cis) f( gis16) r16 gis4.(\glissando cis,8 d f) gis4( a4._"dim." e8[ g f]) e2\p ~ e8[_"cresc."( d) f->( cis])) 
}

が、交互に発展し反復されるのだが、このコントラストをどのように表現するかが、さしあたってのききどころだ。私は、(今のところ)第二主題を強調するような演奏はあまり好きでなく、甘美で幸せな第一主題が全面にでているような演奏が好きだ。そのような演奏を聴いていると、なぜか、魂が浄化されるように感じる。

 いまでは、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮のシカゴ交響楽団のレコードが一番のお気に入りになっている。
1音1音それぞれの意味を丁寧に確かめながら演奏されている(ように感じられる)し(といって流れが切れているわけではなく流麗に流れている)、音が甘美さに満ちている。まさに魂が浸れるマーラー9番なのである。
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でも、バーンスタインのライブ録音も、もしかするととてもよくなってくる予感がしている。こちらは魂の浄化、というよりは、魂の燃焼、という感じであり、第一と第二主題が交互に現れるというよりは、魂がさまざまな遍歴を重ねながら燃焼していく、という別なタイプのエネルギッシュな演奏であるように思える。そしてさらにさまざまな演奏にはまっていきそうだ。マーラー交響曲第九番は奥が深い。

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 年齢を重ねると、よくなってくる音楽というものがある。例えば、ブルックナーの交響曲はながい間、ほとんど興味がなかった(どのシンフォニーを聴いても同じように聞こえる)のだが、齢六十を過ぎてから、突然(のように)とんでもなく魅力的な音楽に聞こえるようになった。晩年のブルックナー第九番に開眼したのはここ何年かのこと。最終楽章となる三楽章の冒頭九度の上昇、静謐な静けさ、ベクトルは外向きではなく完全に内側にそして崇高なるものに向かっている。若いときに聞いてもしみじみと染みてくる、ということはなかなかないのではないだろうか。

聞き手の年齢の問題もあるが、もう一つはオーディオ装置を変えていくと、魅力的に聞こえる音楽が変化してくることも大きな要素だ。LINNのLP12を導入してから、大編成のオーケストラの音楽がいちばん好きになっていった。最高の音楽とは、無伴奏かせいぜい室内楽とずーっと何十年も思ってきた私にとっては、ほんとに大事件のような出来事だった。

後期ロマン派のマーラーは自分の青年時代にはよく聞いたが、それは交響曲一番、二番、四番など前期のものたちばかり。ブルックナー開眼事件以来(つまり六十を超えて、かつプレーヤーをLP12にしてから)マーラーもおりにふれて、六番や七番、そして九番(これはクレンペラー指揮のもの)などを、なんだかんだといっては聞いてきた。

今回、スピーカーをLINN のEXZAKT スピーカーを520 からAKUDORIK にヴァージョンアップしたので、その音を試しにきくために、レコードを選んでいた。
ずいぶん前にバルビローリ指揮のマーラー9番の復刻版(ワーナークラシックス)を入手してあったので、何気なく4面目をかけてみた。
とてもいい!なんという音楽だ!

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(次のレコードはwarner復刻盤ではなくて、英国EMI盤)

マーラー 交響曲第九番 四楽章 冒頭  バルビローリ指揮 ベルリンフィル(1964)
英国EMI盤(初期盤に近いもの)

じつにいい音楽である。いつものマーラーの諧謔的な調子は一切なく、実に神妙に曲が続く。しかも、ほとんどpp(ピアニッシモ)の静けさだ。これまでずっと気がつかなかっただけで、マーラー9番、とんでもない交響曲なのではないか。ネット上で検索してみると、マーラー9番の賛美が数多く挙がっている。参考までにアマゾンレビューを見てみる。

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Amazonレビュー
 「おお、私の消え去った青春の日々、おお、私の消え去った愛よ」とスケッチに記されていたという第1楽章、最後は「死に絶えるように」と指定されて終わる第4楽章 ―― 。マーラーの死の1年前、1910年に完成されたこの交響曲は、ヨーロッパが生み出したあらゆる交響曲のなかでも、最も終末思想と関連付けられて考えられ、また日本のマーラーファンにもこよなく愛されている最高傑作である。これを演奏するということは、指揮者もオーケストラも、その芸術人生を最大限に賭けているとみていいくらいの重い作品である。(林田直樹)
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そうなんだ。。
ずっとながい間、こんな名曲に気がつかなかった私もうかつだが、でも、こんな年齢になって、はじめて感激できるシンフォニーを発見する、というのもとても有り難いことだ。クラシック名盤は、どこまでいっても、新鮮に登場してきてくれるような気がする。


 最初に聞いてみたのは復刻盤。さあて、じゃあ、オリジナル盤はどんな音がするのだろうか。今回はそれほど変わらないのか。そこで、さっそくネットから、初期盤に近い(と思われる)英国盤を手に入れてみた。英EMI盤である。


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違う、やっぱり、さらにすごい。というか、このこの英国盤を聞いてみると、復刻盤はやはり、表面的な音がしていた、ような気がしてくる。

 
英国EMI盤(初期盤にちかいもの)


 それにしても、オーディオ装置を変えるたびに、あらたに出会う音楽がある。大編成オケでしかもppが続く音楽は、今度導入したLINN Akudorik スピーカーのおかげなのかもしれない。
とにかく、プレーヤーLP12 とEXZAKTスピーカーは、私の音楽の好みを大きく変えてくれたかけがいのないものなのだと思う。
 
 

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LINN LP12に、クライナKryna社のダブルアーム化システム「ロングアームマウントシステム」を使って、ダブルアーム化し、モノラル専用カートリッジでモノラル盤を再生できるようにした。かなりうまくいったように思う。そもそもLP12のほぼ完成された回転系を借用するのだし、銘アーム、SME3012IIが使えるようになるのだからうれしい。仮設定のようにやってみたが、このままの形で落ち着きそうだ。あとは、アクリルケースでこのアーム部を覆えるようにすればさらに落ち着くだろう。


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カートリッジも、DENON DL102 とortofon GD25DiIIの二つをほぼ同じ重さに作って、かなり簡単に取り替えが可能となるようにした。


今日もまた鳴らしてみよう。
まずは、「ソニーロリンズ+4」というクリフォード・ブラウン(tp)のLPから hot valseをかけてみる。
このときのカートリッジは、DENON のDL102(モノラル専用)を使っている。スピーカーはモノラル専用スピーカーのTannoy 38cm monitor  (silver) in EMG box  1950年代後半の製品だ。
 

リッチー・パウエルのピアノの音が実にくっきりして心地よい音で鳴っている。
このような小編成の音源では、モノラルスピーカー一本で鳴らしたほうが、音像もはっきりするし、問題ない。



 つぎに、モノラル録音のオーケストラ盤を聞いてみよう。グレングールドがバーンスタイン指揮で、バッハのピアノ協奏曲を弾いている。オケそっちのけで、グールドが勝手に弾ききっているのが面白い。


 
このような大編成になってくると、音源が点から出てくるのが、なんとなく、寂しい感じもする。ソロや小編成なら、絶対に一本のスピーカーできくべきなのだが。。


■モノラル音源を二本のスピーカーで鳴らすということ

そこで、思いついたのが、モノラルカートリッジで拾った音源を、二つのスピーカーから鳴らしてみたらどうだろうか、ということだ。一般には、モノラルレコードを聴くときには、LかRのスピーカーの一本だけにして聞くのがよい、とされている。 だがこうすると、大編成オケ(モノラル盤)を聞くと、なにか、寂しいのである。なにか不全感がある。SPレコードでも、ソロは抜群だが、大編成オケのSPレコードはなかなか聴いているのがしんどくなる。
どうせ、モノカートリッジの出力はLにもRにも送られている。 だったら、二本で。(まあ、つまり、モノラルレコードを意識せずにステレオでかけた状態と同一の感じになるわけである)




何度も何度もかけてきた、ブルーノ・ワルター指揮ウイーンフィルの「大地の歌」。オリジナル初期盤。カスリーン・フェリアの声が神々しい。






つぎは、クレンペラー指揮のマーラー四番。このステレオ盤はほんとうによくかけているが、モノラル盤のほうは、一本スピーカーできくと、なにかつまらなくてやめてしまっていた。



うーん、いい。いいのである。音像が2mぐらいにひろがって、オケを聞いていても面白い。
音像が点に結ばない? うーん、そうかもしれないが、しかし二本で聞いたほうが、とても楽しいのである。


大編成モノラル盤は(音源自体はモノだが、ステレオのときのように)二本のスピーカーで聞くのは邪道なのだろうか。
 

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