KUROのブログ

黒崎政男〜趣味の備忘録

2018年09月

台風24号が近づいてきている。JRの各線が午後八時には全線ストップなど、あまり聞いたことがない。どうなってしまうのだろうか。
そんなわけで今日の日曜日は外に出る気にもなれず、久しぶりに手巻き蓄音機でSPレコードを聴く。
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このところしばらくはLPレコードの再生にかかりっきりになっていたので、しばらくぶりのSPレコード。

幻の東京オリンピック1940年。これは、2020年東京オリンピックの前の1964年の東京オリンピックのその前。ほんとなら、1940年が初の東京オリンピック開催となるはずだった。しかし戦争の激化で開催を返上、中止されてしまった、幻のオリンピックである。(代替地のヘルシンキも結局は戦争のため中止。開催されなかった。)このとき、開催が決定した1937年前後に日本で作られた「東京オリンピック応援歌」やら、当時のオリンピック賛歌。そのSPレコードが合計で3枚ほど入手できたので、その試聴にかかっていたのである。
1930年代後半といえば。そろそろ戦争の影響が現れはじめて世界は大混乱になっていった。そう思ってみれば、さまざまな演奏家たちも大きな悲惨を味わった時期だ。ピアニストのリリー・クラウス。1936年初来日してその演奏公演は大成功におわったが、そののち、各国を演奏旅行中、ジャワ島で、日本軍の捕虜となってしまったことはよく知られている(注)。戦後もたびたび日本に演奏会で訪れていたから、そのときひどい扱いは受けなかったのだろうと思う。
そのSPレコードをかけてみよう。
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そこで思いついたのが、SPレコードのクリーニング方法。いままでは水ぞうきんでごしごし拭いていただけなのだが、そうだ、あのLPレコードクリーニング方式を行ったらどうだろう、と考えた。

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クリーニング用ターンテーブルにSPレコードを載せ、水の【激落ちくん】をかけて、ブラシで回転させながらレコードを綺麗に掃除。あとは、ケルヒャーの窓拭きバキュームクリーナーで吸い取る。そしてタオルの【激落ちくん】で拭き取るのである。

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みちがえるほど、音がよくなった!透明になって歪みがだいぶ消える。とてもうれしくなってしまった。
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(注)この世界的な女流ピアニスト、リリー・クラウスが日本軍に抑留され、その抑留所で、モーツアルトが演奏されたという様子に関しては、多胡吉郎『リリー、モーツアルトを弾いてください』(河出書房新社、2006)に詳しい。
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大学の秋学期が始まり、帰りがてら、西荻窪の行きつけの骨董屋に寄る。なんと、柿右衛門手の白磁の五寸皿が入荷していた。完品無傷。
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(口径15cm 伊万里 白磁 陽刻山水人物文 1670~1690年代)

骨董としての伊万里のブームが去って久しい。私も1990年代末から2010年ぐらいまでは、染付(blue & white)の伊万里皿たち、特に九谷手(1650年代)や柿右衛門手(1670年代)の皿を夢中で蒐集していたが、それも今は昔。骨董屋の話では、ここのところ、伊万里の価格はもうはげしく暴落しているという。それは私にとってはとてもうれしいことだ。かつてならとても手に入れることのできなかった高価な江戸初期の銘皿が、とても安価で入手することができるからだ。この柿右衛門手の白磁だって完品なら、かつてなら高価すぎて決して入手できなかった。(今日ではもう五分の一とか十分の一、とかいう値段だろうか。)だから、これまでは伊万里の白磁は、ヒビの入って直しもある7寸皿を安価で入手してうれしく使っていたものだ。もう10年以上も使っているだろうか。
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(左が10年も使っている白磁7寸皿、右が今回入手した完品白磁5寸皿)

淡い陽刻がうれしい。
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この五寸皿は「柴コレ」第6巻に記載があった。
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(上段の皿 「柴田コレクション」VI 132頁)

柴コレ、とは、伊万里コレクターにとっては必携の書、佐賀県立九州陶磁文化館から発行されている「柴田コレクション」全8巻。(1990~2002年)ほぼこの図録で、伊万里皿のほとんどが網羅されていると言っていい。

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しかし、あれ?この伊万里皿、柴コレに載ってたようなあ、と思ってからが大変。かなりランダムに約1万点ほどの伊万里皿が収録されているために、「えっと、あれは2巻だったかな、6巻だったかな」、と完全なる記憶と眼力だけで、その箇所を探し当てることになる。これがうまくいかないと、図録から探し当てるだけで、一時間もかかったりする。
だから、一回探し当てたら、かならず付箋をつけることを忘れてはならない。次の伊万里 染付柿右衛門手(六寸皿)1670年代は、私の所有している伊万里のなかでも特に気に入っている一枚だが、これは付箋をつけ忘れたために、何度か、探し回った覚えがある。
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(染付 柿右衛門手 1670~80年代 口径18cm)

骨董は常に変わらぬ価値を持っているように見えて、実は、時代の折り目に応じて、乱高下する、実に浮き沈みの激しい存在なのだ。好きで愛する古物が暴落してくれれば、自分の身近に有することができる。今日の柿右衛門手白磁は、申し訳けなくもとてもうれしい買い物だった。

■ロストロポーヴィッチのシューベルトのチェロ・ソナタ、アルペジオーネの名盤を、LONDON初期盤で入手。

前回、ロストロのアルペジオーネは、LONDON日本盤で充分だ、と書いた。が、しかし、e-bayを覗いてみると、DECCA オリジナル盤は法外な値段が付いていたが、LONDON初期盤は、数千円以下の値段で入手できることが分かった。毒くわば皿まで。この名盤は毒ではないが、まあ、ディスクは皿みたいだし、ということでゲットした。

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レコードを鳴らしてみると、さらにニュアンスが伝わる優れた盤のように思えた。ただ、厳密な聞き比べみたいなことはまだやっていない。

今日は、この盤、ステレオではあるが、しばらくぶりで、EMT930stのプレーヤーにステレオカートリッジTSD15(これは実にいい音のするカートリッジだ)をつけ、
WE205のモノアンプを二つ使って、これをタンノイのステレオ用、III LZ (red monnitor)に繋いで鳴らしてみた。
厳密な再生音そのままでないのは、再生音の再生、というメタの二乗が掛かる、から。さらに最終的に聞かれる装置の性格も加わる。ので、雰囲気だけでも、ということになる。
とにかく、だいたいこんな音で聞こえているわけだ。これが、LINN のLP12を使って再生するとまた違った音になるがこれはまた後日。





さらに二楽章も。



■<オーディオの音>を<記録>すること~~ハスキルのスカルラッティーLPレコードをオーディオ再生した記録をアップしてみる~~

およそ一般的に言って、オーディオ装置の雑誌、文章、あるいは、レコードについての書物、ブログなどは、なにか常に不全感が漂う。この音はいい、このレコードの演奏はすばらしい・・、そういくら言葉を尽くしても、肝心の音楽自体は直接聞くことができないからだ。
では、だからといって、例えば、オーディオの再生音を録音して、それを再生しようとしても、その再生されている音が、元のオーディオ再生音の特徴なのか、あるいは、それを録音した機材の特徴なのかが分からないからだ。

ハスキルのスカルラッティのレコードはすばらしい。
はあ?それはどんな感じですか?
はあ、直接、うちの装置を聴いてもらうしかない。
うーん。

とこんな感じになってしまうからだ。
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しかし、そこは無理を承知でなんとかしてみたくなった。

そこでこのレコード音を動画で撮ってみようと思ったのである。
動画を作って公開するためにはyoutuberにならなければならないのか?
ちょっとためらったが、作ってみた。
これはちゃんと公開できているのだろうか。



以下の写真はそのときの装置である。

LP record(mono)
Clara Haskel  D.Scarlatti Klaviersonaten (1950)
 Westminster  479019 HI-FI  (HELIODOR)

EMT930ST TMD25 155st
WE205Dpp amp
tannoy 15inch silver monitor


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【鶴田留美子ピアノリサイタル2018/9/8 サントリーホール(ブルーローズ) パンフレット】に寄稿した文章の再録
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 音楽とは、だいたい最初は曲目で聴きはじめるものだ。昨日はベートーベンの「田園シンフォニー」を聴きました、今日はモーツァルトの「幻想曲K.397」を聴きました、といった具合。それで少し興味が進んでくると、だんだん、演奏家や指揮者で聴くようになってくる。フルトヴェングラーはすごい。カルロス・クライバーの実況演奏はいい。グールドのピアノが好きだ。このようになってくるのが普通だろう。
 そのうち、次第にレーベルで聴く、ということが起こってくる。バッハを中心とする精神的演奏なら(リヒター指揮やヴァルヒャ演奏のオルガンなどの)ドイツ・アルヒーフ盤で。ヴィオールやリュートなど古楽ならば(J・サバールやH・スミスの)フランスのアストレ盤で聴く。
 高校生でLPレコードを聴いていた頃、ヴァイオリンのワルター・バリリやクラリネットのレオポルト・ウラッハ、若きピアニストのイェルク・デムスなどを録音していた、古きよきウィーンの香りのするウエストミンスター盤が大好きで、そのレーベルを意識して入手していた。特に気に入っていたのがウラッハ。かつてウィーン・フィルの主席クラリネット奏者をつとめたウラッハの音はウィーン式楽器を使用していることもあって、端正で優雅ながら実に憂いに満ちた音色で心に沁(し)みた。絶品のブラームス「クラリネット・ソナタop.120」二曲や「クラリネット五重奏曲op.115」。モーツアルトの「クラリネット協奏曲K.622」や「クラリネット五重奏曲K.581」など(ウラッハはLPやCDでも幾度となく再発売されているから一般にも人気があるのだろう)。
 ウエストミンスター・レーベルは、1949年にアメリカで設立され、主に五十年代のウィーンを中心に活躍した演奏家を収録した独立系レーベルのレコード会社。ロンドンのビッグベンをあしらったレーベルと、Natural Balanceを謳った高音質録音で高い人気をほこったが、1965年にはABCレーベルに買収されて消滅した。

                 ★
 私は二十年前に、一度すべてのLPレコードを処分したあと、CDやネット・オーディオなどでLPレコード時代の演奏を聞いてきた。だが、つい二年前に、レコードプレーヤーを再導入し、ふたたびレコードを掛け、カートリッジで音楽を聞くようになった。
 というのも、(現在登場してきた)音楽配信サービスで音楽を流したり、デジタルファイル再生では、どうしても、ながら聞き、やBGM的聞き方になってしまい、演奏とちゃんと向き合って聞くことがなくなってしまうような感じがしたからだ。レコードという手に触れることのできる物質、および、その音楽を表現する30cmレコードジャケットの存在感。それらを媒介にしてこそ、真摯に演奏に向き合える、と思ったのだ。
 現在、LPレコードの収集復活にあたって大量にレコードを再購入。LPレコードは今日、店頭やネットオークションなど充実した中古市場が確立していて、百円単位の値段(ただし初期盤やオリジナル盤となると数十倍以上の価格となるが)で入手できるのである。それで、今回、ウラッハやデムスなど、結局、ウエストミンスター盤を中心に買い集めていたところ、そこにクララ・ハスキルの「ドメニコ・スカルラッティ 11のピアノソナタ集」(1950年録音)というレコードがあることを発見した。ハスキルは、リリー・クラウスやイングリット・へブラーを含めた、当時の有名女流ピアニストの一人、ぐらいの認識しか私にはなかったので、初めて聞いたハスキルのスカルラッティのあまりのすばらしい演奏に驚愕した。その演奏は、優雅で繊細な音、深い陰影があり、まろやかだが芯が強い、と言うだけでなく、冒頭の「ソナタ嬰ハ長調L256」の演奏からして、あたかもこの世のものではない、幻想的というか霊界的な、といおうか、そんな演奏だったのである。スカルラッティといえば、ホロヴィッツの演奏にトドメを刺す、と思っていた私はこのハスキルの演奏に惚れて、すっかり愛聴盤になってしまった。ネットで調べてみると、この演奏は<永遠の名盤としてよく知られたもので珠を転がすような妙音が法悦境に誘う>という記述に出会った。あるいは<この盤がウエストミンスターにおけるハスキルの金字塔>ともあった。このレコードは永遠の名盤として以前からよく知られている・・。知らなかった、とウエストミンスター盤好きの私としては、恥じ入ってしまった。
 そこで、次々にハスキルのLP盤を買いあさったのである。その一枚を挙げてみるなら、ドイツ・グラモフォン盤のモーツァルト「ピアノ協奏曲27番K.595」(1955年録音)。クララ・ハスキルのピアノ、フリッチャイ指揮バイエルン州立オーケストラの演奏。稀代の名演!の一言に尽きる。調べてみると、このハスキル=フリッチャイ盤も「永遠の名盤、歴史的名盤としてとても有名な演奏」なのだそうだ。どの分野、どの世界に行っても、必ず自分の知らなかった名盤が存在していることに、いつもびっくりさせられる。
 長年こうして、ずっとレコード音楽を聞いてくる中で、いつでもまだ私の知らない<永遠の名盤>が存在していること。また、半世紀にもわたって、同じ演奏(例えば、ウラッハのクラリネット盤)を聴き続けて飽かないこと、そのことにも感慨を覚える。もう五十年近い時の流れである。

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 先日、久しぶりに秋葉原のラジオデパートを訪れた。LPレコード再開に際して、自作の真空管アンプの調整に入っていたからだ。このところ、真空管アンプの音が急速に痩せてしまい、それが両チャンネル同様だったので、すぐに電源部の問題だろうと思った。整流管を見てみると、水銀の膜がほとんど消失し、みるからに整流管の寿命が来たのだと分かった。
 RCA83は水銀入り直熱整流管で、約30年前に秋葉原で購入。さまざまな機会で使ってきて、ここ数年は集中的に使用したためにへたったのだろう。「RCAのタマはさすがにないが、イタリア製のFIVREの83ならあります。マニアの皆さんにはこのイタリア製83は音がいいと人気です」と、ここ10年ほど買っている2階の真空管専門店の店主は言った。どんな世界でもマニアというものは存在しているのだなあ、と半ばあきれながらも購入。しっかり根を張って天まですっと伸びた大木のように安定した音になった。クララ・ハスキルのピアノはさらに魅力的な音色になった。あまりにいい音だったので後日、もう一本予備に購入。これで私の残りの人生、83で困ることはないだろうと安心した。
 ラジオデパートは、30年以上前に初めて訪れたときにもそれほど新しいビルとは思えなかったが、いまだにちゃんと機能していることには驚く。地下のトランス専門店も3階の真空管専門店も、店はそのままで店主はそれぞれ三代目。おじいちゃん死に、お父さん死に、息子さんがそのまま店を継いでいる。私はまるで萩尾望都の「ポーの一族」になったかのように、店の前を通り過ぎるのである。
 時が流れても変わらないもの、変わっていくもの、それは自分自身の存在も含めてなのではあるが、我々が「時間的存在者」であることを改めて、思うのである。


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