KUROのブログ

黒崎政男〜趣味の備忘録

2018年10月

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名録音技師のケネス・ウィルキンソンが録音した多くの名レコードのうちでも、その音のよさ空間感などで一、二に挙げられる「ロイヤル・オペラ・ガラ・コンサート」(1959)。このオリジナル盤は(前にも書いたが)ヤフオクだと20万円、e-bayだと40万円を超える値段で出品されていて、とてもとても手を出せるしろものではない。そんなわけで、2005年にスペインでリマスタリングされた復刻版を手に入れて楽しんでいた。
 先日、フラウト・トラヴェルソの世界的第一人者の有田正広氏と、銀座のオーディオサロンで、レコード鑑賞対談をやったときにも、このレコードを私のお気にいりとしてかけた。

「クロサキ教授のオーディオ哲学サロン第3回 ~古楽トラヴェルソ奏者・有田正広氏 再び」

そのとき、私は同録音で別のリマスタリング盤(2016年)も入手したばかりだったので、その別物のレコードも同時にかけた。2016年盤は、ぱっと聞いた感じでは迫力があっていい感じだが、2005年盤のほうが、自然でいい音がする、と有田氏も会場の方々もほぼその方向で意見が一致した。
 そんなわけで、私はますますこのレコードのオリジナル盤(絶対高価すぎて買えないけれど)を聞いてみたいなあ、という気持ちになっていた。
 そんなとき、いつものようにヤフオクでこのレコードで検索していたところ、とても面白い存在のレコードがある、ことを知った。
{米盤は二枚組でリリースされたが、本来のオリジナルである英国では一枚に編集されVICS番号で初出となる}とあった。なにい!英国盤があるのか。そこでe-bayで検索すると、あった!しかも相場は1万円から2万円。もうレコードに関しては金銭感覚が狂っているので、「安い!」と思い、さっそく入手したのである。それが届いた。



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右側が英国盤 (1967年)。左側は下が2005年盤。上が2016年盤。

この英国盤。表題も「バレエ名曲集」と平凡だし、ジャケット・デザインもおざなり。ジャケットを見る限りでは、こんなすごい演奏と録音だとはとても思えない。

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なんともどうでもいいようなシリーズの一枚として出されたような感じ。裏面を3種類並べてみた。
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この英国盤は、DECCAレコードで製作したもの。「NewYorkのR.C.Aのマスターレコーディングから製作した」Made from a master recording  of R.C.A.,N.Y.
とある。英国盤はRCA VICTROLA ということになっているわけだ。DECCAとRCA、Victorolaとvictorなど関係がとてもややこしい感じ。レコードレーベルは次のようになっている。

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音は、やはり!!すばらしかった。空間性が潰れていない。実にひろびろとしたサウンドステージ。低弦部の音の動きが気持ちいいほどで目に見えるようだし、木管楽器の質感が実に美しく描きだされる。やったあ!ついに完全なオリジナル盤とは言えないけれど、英国でプレス発売されたものとしては初期盤となる。
チャイコフスキーの「くるみ割り人形」のマーチ。わくわく、どきどき感がすごい。次にあの音がやって来るぞ!というぞわぞわ感は初期盤ならでは、の感覚である。
もうここで止まりたい。これで充分だ!米盤二枚組オリジナル盤は、おそらくこの英国盤と大差ないだろう。大丈夫。と自分に言い聞かせる今日だった。






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今日のLPレコードプレーヤーは、
LINNのLP12。内蔵イコライザーurika2が内部に入っている。カートリッジはLINN KANDID。このプレーヤーは、初期盤や再販盤、復刻盤の違いをいやというほど明確に描き出してしまう。このLP12(+urika2)にしなければ、こんなに初期盤フリークにはならなかっただろう。因果なプレーヤーだ。

歌舞伎で単に「六代目」といえば、尾上菊五郎(六世)(1885~1949)を指す。歌舞伎で最高の名優は誰か、というのを言い当てるのは難しいが、この六代目も当然そのひとりに入るだろう。十八世勘三郎や清元の当代延寿太夫(だから尾上右近も)その血筋をひいている。
この六代目の松王丸の隈取「押隈」を二年ほど前にオークションで落札、入手した。隈取りは歌舞伎独特の化粧法だが、これを、歌舞伎役者が絹布や紙に押して写し取ったものが押隈。通常はひいき客へ記念に贈ったりしたものである。
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 歌舞伎座などで行われる俳優祭に行くと、チャリティとして、役者の「押し隈」がたくさん出品される。入札方式なのでつまりはオークションになるが、なかなかゲットすることは難しい。数年前、吉右衛門と鷹之資の「連獅子」隈取のダブル「押隈」が出品されていたときには実に欲しかったのだが、高価すぎて手が出なかった。押し隈は、役者の顔に直接布を押しつけて写しとったものだから、その布にはその役者の汗や皮膚(の表面?)も付いているはずだ、と思うと、とても貴重な存在に思える。だから、<あの>六代目の押し隈が相当の安価で入手できたときには躍り上がるようにうれしかった。

六代 菊五 三朝 松王

のキーワードでは、これがあの六代目菊五郎の押し隈かどうか、判断しにくかったのかもしれない。確かに落款はそれだけである。(出品された時には、「菊五郎」や「六代目」などという記述はなかった。だれの押し隈か、分からない状態で出品されていたのである。)

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松王は「菅原伝授手習鑑」の主役である松王丸。有名な4段目「寺子屋の段」では、松王丸は隈取りはしていないから、これは3段目「車曳の段」のときのものだと思われる。梅王丸と桜丸とが敵の牛飼いとなっている松王丸(この三人は三つ子の兄弟)とやり合う場面だ。

六代目の俳号は「三朝」で俳句もよくしたらしい。

この押し隈に書いてある句は

三人の 釣り兄弟や 沙魚(はぜ)日和

すばらしい!句だ。

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(三人乃 釣り兄弟や 沙魚日和  三朝(六代目菊五郎))

なぜなら、三人の釣り兄弟とは、おそらく「菅原」のこの三つ子兄弟を暗に示していて、その三人が仲良くはぜ釣りで、釣り糸を垂れている、という句。芝居では三人は和解することなく3段目「賀の祝い」でも大げんかしたまま。桜丸は切腹にいたるわけだから。「菅原」からこの句を読むと、ほんとに涙したくなるほどのいい句である。
六代目の「松王丸」は見ることができなかった(まだ私は生まれていない)が、この句を見るだけで、本当にすばらしい松王丸を演じていたのだろうなあ、と想像される。
 それにしても、我が国の文学・演劇として18世紀中庸に「菅原伝授手習鑑」全五段、「義経千本桜」全五段、「仮名手本忠臣蔵」全十一段の三大名作が相次いで作られたのは奇跡的出来事である。この三作は人形浄瑠璃および歌舞伎の演目として抜群のクオリティを有している。この三作だけが繰り返し歌舞伎座でかかる、というのが最高の幸せだと私などは考えてしまう。

 この押隈は最初、軸装されていた。しかし継ぎ目のところが若干剥がれいたので、友人の直し職人に依頼したのだが、補修は難航を極めた。じゃあ、いっそのこと、まくり(裸)のまま額装すれば、ということになって、このたびようやくおさまったのである。
となり上の浮世絵、江戸時代の版画はやはり松王丸(中村芝翫)。寺子屋の場面で、首実検をしている図である。「車曳」の松王と「寺子屋」の松王が並んでいてうれしい。

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