KUROのブログ

黒崎政男〜趣味の備忘録

2018年12月

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 今日は蓄音機の音がとてもいい。SPレコード(78回転)を電気を使わずに、レコードに刻まれた溝をなぞる針の振動を(ラッパで音を大きくして)聴くのが蓄音機だ。1925年から35年ぐらいまでの間にアメリカや英国で名機が数多く作られた。その後は電気で音を増幅する電蓄(電気蓄音機)が主流となる(これがその後のオーディオ装置に発展していく)ので、今、現役で活躍している蓄音機たちは、いずれも齢80歳から100歳近い高齢者たち、ということになる。
 今日、使っているのは、英国のHandMade蓄音機、1930年ぐらいに作られた(だから御年90歳近い)EMGinn社のExpert Senior。ラッパの口径72cmで紙製。ロンドンの電話帳の紙を貼り重ねて作られたと言われている。
 さて、蓄音機はサウンドボックスという耳にあたる部分があり、それに針をつけてレコードの溝の振動を拾うのだが、その針の素材が音質に大きな影響を与える。
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これが竹針を装着してあるサウンドボックス

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さてこの竹針。日光東照宮から出た燻竹から、このEMGinnのサウンドボックスに合わせて作ってもらった竹針。一回レコードを鳴らすと先が摩耗してちゃんと音が拾えなくなるので、一回一回、竹針を削りながら使用する。

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ハサミのようなカッターで、爪を切るような感じで竹針を削るのだが、実は毎回、切る感触が異なる。湿度が低く部屋が乾燥しているときは、カリッと切れる。だが、加湿器を炊きすぎて部屋全体の湿気が上がっているときには、ヌメッ、という感触になる。こうなってしまうと、音は柔らかくなるが針先が弱くてすぐに減って、再生音が歪みはじめる。一面最後まで持たないことも多い。
 だが、今日の針のカットの感触は、実にカリッとしている。部屋の加湿器を炊くのを忘れていたからだ。だが、こんな竹針のときの再生音は、実にしっかりして硬質で鉄針の再生音に近くなる。しかも竹のしなやかさはちゃんと保ちながら、だ。
 案の定、今日は実にいい音で蓄音機が鳴ってくれる。うれしくなって何枚も掛けて美音を楽しんだ。


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G.エネスコ(violin) プニャーニ作曲ラルゴ・エスプレッシーヴォ(仏コロンビア盤)



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パブロ・カザルス(cello) バッハ アリア








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 作家宮沢賢治(1896~1933)は、我が国で最も初期のSPレコードの愛盤家である。そして彼の文学作品にはSPレコード体験から霊感を受けて書かれたと想われる箇所がたくさん存在する。「ゴーシュ」で猫が「トロメライ、ロマチックシューマン作曲」と言ったり、「第六交響曲の練習をしていました」とか、枚挙にいとまがない。
 岩手県花巻という土地で、大正時代に、ある人物が頻繁にレコードを買っていくため、地方の店の割に新譜レコードが多く売れるとして、行きつけの楽器店がポリドール・レコード社から感謝状を贈られたりしている。それが賢治だった。
 賢治がどんなSPレコードを所有していたか、あるいは聴いていたのか、ということはさまざまな研究があってだんだん分かってきている。というのも、彼が所有していた膨大なSPレコードは、花巻の空襲(第二次世界大戦S20.08)で生家が焼け、ほとんど消失。弟の清六氏がやっと持ち出した12枚のSPレコード(遺品レコード)が現存しているのみ。その他、賢治献呈レコード、「レコード交換用紙」記載レコードなど、客観的資料も多少残っている(注)。
(注)宮沢賢治のSPレコードに関しては、その先駆的研究書として佐藤泰平『宮澤賢治の音楽』(筑摩書房、1995年)や萩谷由喜子『宮澤賢治の聴いたクラシック』(小学館、2013年)が参考になる。

(。。。ちょっと書き方が論文調になってきているなあ。。。)

■「セロ弾きのゴーシュ」に登場する音楽

さて、「セロ弾きのゴーシュ」である。
ここで登場する音楽は

①金星音楽団が演奏する 「第六交響曲」
②猫「 トロイメライ」「印度の虎狩り」
③かっこう 「ミ・ド」
④狸の子  「愉快な馬車屋」
⑤野ねずみ  「なんとかラプソディー」

これらが具体的にはどんな曲、あるいはどんなSPレコードと対応しているのだろうか、ということについては、いろいろな機会で発表してきた。(2015年から富士レコード社での「SPレコードコンサート」や2013年からNHKラジオ第一「教授の休日(大みそか)~蓄音機&SPレコード特集」で「賢治の聴いたSPレコード」という形で。)

で、⑤「なんとかラプソディー」については、おそらく、チェリスト・ストウピンが弾いたポッパーの「ハンガリー(匈牙利)ラプソディ(狂想曲)」(ニットー特黒)がヒントになっているだろう、とは定説になっているところ(佐藤泰平氏も「賢治が「なんとかラプソディ」とぼかして使ったのは、この「匈牙利狂想曲」をヒントにしたと推測する。」(211頁)と述べている)。
賢治がこのレコードを所有していただろうと思われるのは、「レコード交換用紙」(賢治が他の人とレコードを交換しあおうと提案して作成した表)に載っているからである。(最後の行)(賢治全集「校本十二巻・下」)
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さて、ところがこのレコード。どんなに探し回っても見つけることができなかった。もう数年探していたが、一生入手することはないだろうと諦めていた。


■ぜったい入手不可能だろうと諦めていたレコード


 しかし、チャンスというものはやってくるものである。
 銀座の蓄音機専門店Shが長い間、年に二度、蓄音機やSPレコードの紙上オークションをしている。これまでは一度として参加したことはないのだが、郵送されてきたこの冬号のパンフレットを見ていると、なんと、レーベル写真入りの数枚のなかから、「匈牙利狂想曲」というSPレコードのレーベルの文字が眼に飛び込んでくる。

  ストウピン! ?えっ!
  あれか! まさか!
  ついに出会った、のか。
  ここで遭ったが百年目!

そんな思いで早速に記入して、郵送で返した。

最低落札価格は3000円から、となっていた。
うーん、あの歴代の稀少盤が3000円から、とは安価だ!
だが、多くの競争者がいるだろう。ここで逃しては、と大台の値段をプラスして書き込んだ。

お店から確認と訂正の電話がかかってきた。

「記述に訂正があります。旧吹き込みと書きましたが、電気吹き込みのようです。よろしいでしょうか?」
「なにやら妙に問い合わせが多いレコードなのですが、これはなにか特別なものですか?スツーピンって調べたのですが、ほとんど資料がありません。」

(私)「あれ!これは宮沢賢治の所有レコードですよう」

無事に私が落札できて、今日、銀座のお店に取りに行った。
「よくこのレコード、写真入りで出品したねえ」
「はい、なにやら、特別なレコードのような直感がありましたので、出してみました」
お店の直感よ!ありがとう、という感じである。

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再生に使用した蓄音機は
EMGinn社製(英国、1930年代)Expert Senior (口径72cm)
針は竹針。日光東照宮から出た古竹を削って製作した竹針。

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ポッパー作曲ハンガリアン・ラプソディー 演奏 セロ独奏セルゲイ・ストウピン
(a.1925年)SPレコード 片面約3分

(レコード表面)

(レコード裏面)

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歌舞伎に「楼門五三桐」(さんもんごさんのきり)という10分程度の実に短い演目がある。大泥棒の石川五右衛門が南禅寺山門で「絶景かな、絶景かな・・」とやると、巡礼姿で現れた秀吉が「浜の真砂はつきるとも世に盗人の種は尽きまじ。巡礼に御報謝」と言って終わる。起承転結、でいえば起、だけ。まさに、やまなし、オチナシ、の演目。以前はこれが舞台に掛かると、「この歌舞伎、どこがいいんだろう・・」としらーっとしてたものだった。
だが不思議なもので、何年もかけて何度か観ているうちにだんだんよくなってくる。五右衛門も秀吉もほとんど動かず、動きと言えば、山門全体がせり上がる、くらい。だが、大名優が二人登場すると、もうそれだけでうれしくなってしまうようになる。ここのところ10年ぐらいは東京では、吉右衛門と菊五郎のコンビだ。今年11月の歌舞伎座でもこのコンビで掛かった。芝居ってほんとにいいなあ、とつくづく楽しくなる。

国立劇場のパロディー風というのは三幕三場「木屋町二階の場」。宿屋の二階という設定ですべてが地味に作ってある。五右衛門は吉右衛門で久吉が菊之助。
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セリフは「五三桐」とほぼ同じだから、あのオリジナルの絢爛豪華な南大門と五右衛門の衣装が、逆に脳裏に浮かぶ。久吉は、父菊五郎の代わりに菊之助。この木屋町の場もしみじみとすばらしいものだった。


 またまたいつものように、レコード棚から以前入手していた五三桐のSPレコードを取り出して、聞いてみる。蓄音機は英国グラモフォン社 HMV#202。針は鉄針でELKARの金色針を使用した。

戦前の歌舞伎の超スーパースターだった五世の歌右衛門と十五世の羽左衛門の組み合わせ。
昭和6年(1931年)発売 楼門五三桐 五世中村歌右衛門(五右衛門) 十五世市村羽左衛門 表面と裏面から、主な箇所を抜粋している。

セリフは次の通り。
(五右衛門)「ハテ絶景かな絶景かな 春の眺めは価千金とは小さな例え。この五右衛門の目からは万両。ことに春の夕暮れの桜は蕭々、ハテ麗らかな眺めだなあ」
(秀吉)「石川や浜の真砂は尽きるとも」(五)「や」
(秀)「世に盗人の種は尽きまじ」 (五)「なんと」
(秀)「巡礼に」  (五)「えーい」
(秀)「御報謝・・」  

 どうして私は、今日のサントリーホール、ゲルギエフ指揮ミュンヘン・フィルハーモニーのチケットを買っていたのだろう。半年も前だ。

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そのころ(今年の夏)は、ちょうどLINN のLPレコードプレーヤー、LP12をグレードアップしていて、内蔵イコライザー、urika2を導入したころ。このオーディオ装置で、マーラーの交響曲、特に、クレンペラー指揮のマーラー(1960年代録音)を英国コロンビア盤で夢中で聞いていた。あまりにレコード再生がいいので、つい、生(ライブ)のオケでマーラーやブルックナーを聴いて比較したくなっていたころ(だからこの夏は近くの墨田トリフォニーホールでやっていたブルックナーやマーラーの演奏会によく出かけた)。オーディオでは、オケの1stバイオリンの高域がffのときにどうしても歪みがち。この点がグレードアップでどんどん改善していったので、生ははたしてどうなのだろう、と思っていた。

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ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団/ワレリー・ゲルギエフ(指揮)
2018年12月1日(土)18:00開演 
サントリーホール 大ホール(東京都)
【プログラムB】
ブラームス: ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op.83 ピアノ:ユジャ・ワン
マーラー: 交響曲第1番 ニ長調「巨人」


 さて今日聞く、ミュンヘン・フィルは、クナッパーツブッシュ指揮の名演盤(ブルックナー8番)や、チェリビダッケ指揮のやはりブルックナー八番(LPレコードでも、DVDでも観れる。ティンパニストの故ペーター・ザードロとチェリビダッケの掛け合いは(変な比較だが)ものすごいスリリングだった)で大ファンになっており、一度は生で聞いてみたい、と(そのときの私は)思ったのだろう。だから、半年前にこのチケットを早々と購入したのだと思う。

今日の私の席は、上手二階。オケを真横から見下ろす位置。私の席からみると舞台は以下のように見えている。

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左 ピアノ協奏曲の時のオケ配置     右 マーラーのときのオケ配置


こんな感じ。左側が正面、ということになる。
弦のパートはだから、すべて、ちゃんと分離して聞こえたのは楽しかった。
ゲルギエフのマーラー第一番「巨人」はどうもいただけなかった。ブラームスのピアノ協奏曲2番のときから、1stバイオリン群が強音になると、なにか響きが混濁する。ちょうどオーディオ装置が調子悪いときに高域が濁るのに類似している。(このサントリーホールでは、昨年、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルでベートーベンの交響曲6番を聞いた。そのときはどんなにfffになっても音が澄み切って空間をきれいに上昇して消えていくすばらしい音、響きだった。だからこのホールはとても信頼している。)
ゲルギエフのマーラーは力感的ではあるが、陰影に乏しい、マーラーのはかない繊細なニュアンスが表現されていない、という感じ。響きは混濁しているし、特に最終楽章はもうやかましい限りで辛かった。(なんでこんな演奏会を買ってしまったのだろう、とも思った。)


■今日のミュンヘン・フィルで惚れた点

もちろん、美しくて陶酔した場面もあった。ブラームスのピアノ協奏曲の三楽章はチェロ独奏が聞きどころだが、この首席チェロ奏者(ミヒャエル・ヘル?)の演奏はもうとんでもないほど美しいチェロで(私の愛聴盤であるバックハウスp=ベーム指揮・ウィーンフィルの演奏では、首席チェロ奏者のブラベックが演奏している)それに匹敵するほどの美しさだった。

また、マーラーの三楽章、荘厳に威厳をもって、の冒頭は

  \relative c { \clef bass \numericTimeSignature \time 4/4 \key d \minor d4\p(^\markup{\center-align \smaller (Cb.)} e f8 e d4) \breathe | d4( e f8 e d4) \breathe | f( g a2) \breathe | f4( g a2) \breathe | a8.([ bes16 a8 g] f e d4) \breathe | a'8.([ bes16 a8 g] f e d4) \breathe | a'( a, d2) \breathe | a'4( a, d2) }


と、コントラバスが弾くのだが、このミュンヘンフィルのコントラバス首席(Stawomir Grenda?)は、あまりに上手すぎて、とてもコンバスが弾いているとはおもえないほど、正確な音程で美しすぎた。通常は、この箇所はちょっとコントラバスの音程のおかげで、ちょっとユーモラスな感じになるものだが、こんなに見事なコントラバスは聞いたことがない、と思ったほどだ。(ジャズのベイシスト、レイ・ブラウンやスコット・ラファロ、ペデルセンなども含めて。)
それと、ブラームスとマーラーともだが、2ndバイオリンとヴィオラの中声部のなんと美しい響き(特にpやppのとき)なことか。透明とか澄んでいるというのとは逆に深みのある味のある音だ。ピチカートの響きの美しさなどは(さすがサントリーホールの音響)痺れる。あとは、首席フルート(コフラー)、首席オーボエ(Ulrich Becker)の美しさが特に印象的だった。そういう意味ではミュンヘン・フィルのよさの片鱗は窺えたように思う。

さて、そんなわけで、私のここのところしばらくのテーマ、
ライブ=対=オーディオ
どちらがいいのか(あまりに素朴な問題設定か(笑))
は、今日は明らかにオーディオ鑑賞のほうに軍配が上がった。

それと、大オーケストラの弦高域のffのTUTTIでの歪み、混濁感(もうurika2にしてほぼ解決したように思えているが)。これはオーディオにおける歪みの問題もさることながら、生のオリジナルの音でもすでに混濁して感じられることがある、ということが分かった。聞く座席の位置の問題なども絡むのか。いずれにしても新たに発見したような気がした。

まあ、オーディオのレコードは、何万という演奏のうちから選び抜かれた超名演を毎回聞くわけだし、また適正位置のマイクポジションだろう。ライブでは、おなじサントリーホールでも、ラトル=ベルリン・フィルのときのように、一階正面10列目、と今回のゲルギエフ=ミュンヘン・フィルの2階真横では、そもそも音と響きの条件が違いすぎるのかもしれない。。

■帰宅して、LPレコードでブラームスとミュンヘン・フィルを聴く

そんなわけで、帰宅すると、無性にレコードが聴きたくなった。
まずはブラームスのピアノ協奏曲第二番。ベーム指揮・バックハウスの超名盤。三楽章。冒頭からチェロの独奏が朗々と響く。かなり経ってようやくピアノが登場する。チェロ独奏はウイーンフィルの首席チェロ奏者ブラベック。(このレコードジャケットにもわざわざブラベックの名が特記されている)

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次には、チェリビダッケ指揮のミュンヘン・フィル(1990年東京ライブ)のブルックナー8番。これも決定的名盤(ただし通常の8番の演奏と比べるとテンポは異様にゆっくりである)。4楽章。ザードロのティンパニーが聞ける。

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ついでに、マーラーの交響曲第一番「巨人」。
これはワルター指揮コロンビア交響楽団。やはり超名盤。一楽章での、pppからfffに至る持続力、緊張感の凄さは類を見ない。ここでは、三楽章の冒頭、コントラバスのソロの箇所を聞いてみる。
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