KUROのブログ

黒崎政男〜趣味の備忘録

2019年02月

イメージ 1


シャンソンといえば、戦前のボワイエ「聞かせてよ、愛の言葉を」やリナ・ケッティ「待つわ」などをはじめ、味わい深い曲で溢れている。戦後でもイヴェット・ジローやコラ・ヴォケール、イヴ・モンタンなど、音楽がアメリカナイズされて<フレンチポップス>となってしまう以前のフランス音楽は、実に魅力的だ。
 そのなかでも、バルバラ(Barbara 1930~1997)のシャンソンは、その独特の声もあって、きわめて独自の魅力に満ちている。
 私がバルバラのレコードをよく聴いていたのは、大学院生のころだから1980年前後のことになる。
 今回、銀座のsound create というオーディオ・ショップで、宗教学者の島田裕巳氏と続けている「オーディオ哲学宗教談義」のために、何曲かLPレコードを選ばなければならなくなった。かつての自分が夢中で聴いていたレコード、ということで思いついたのが、このバルバラ。曲はなんといっても「ナント(に雨が降る)」Il pleut sur Nantes。
 当時は、バルバラの「バルバラ・私自身のためのシャンソン」と邦題がついたBarbara chante Barbaraというアルバム全体を聴いていた。日本盤ではA面1曲目(フランス盤では、B面1曲目。他の曲の配置もまったく異なる)にある「ナントに雨が降る」。この曲の異様な暗さと深さに感心させられて、深く印象に残った。その当時は、なにか、戦争で亡くなった人を悼む曲なのかなあ、と勝手に思っていた。

 その歌詞を簡単に挙げてみる。

ナントに雨が降る
ナントの空は私の心を嘆きに閉ざす
・・・・・
「いまわの際に、彼は一目会いたいと願っているのです。」
・・・・・
彼は死ぬ前に 私の微笑みであたためて貰いたがっていた。
だがその夜に彼は亡くなった。
一言の「さよなら」も「愛している」もなく
ああ、わが主よ (Mon Pere, mon Pere)
・・・・・


いま当時の対訳(レコードのパンフレット)を見てみると、「父」と訳すべきところを「主」と訳してあった。(なるほど!いま分かったのだが)そうすると、この歌には、一切、父が出てこないことになる。「ああ我が主よ!」ではなにがなんだか分からない。

歌詞の内容は、

ずっと会っていなかった父がいまわの際で私に会いたがっていた。私はナントに駆けつけたが一足遅く。彼は私に最期に微笑んでもらいたかった。しかしそれはかなわなかった。ナントに雨が降る

ということだ。
この現実の、都市ナントには、この曲のために「バルバラ通り」が作られ、また歌詞に出てくる架空のグランジュ・オー・ルー通りも、1986年に実際の通りに命名された。ネット上の情報を見ると、当時、バルバラは公演の宣伝を一切行わない。にもかかわらず発売直後にチケットが完売する現象は「神話」と呼ばれ、また、制作・発表した作品群はフランス国民のみならず様々な国の聴き手に感銘を与え、現在も圧倒的な支持と評価を受け続けている、ということだ。

 数年前のことだが、私はバルバラの遺作『一台の黒いピアノ』に書かれていた極めて衝撃的な事実を知って、唖然とした。ブックDataベースから内容を引用しておこう。
シャンソンの女王、バルバラは、ユダヤ人として生まれ、ナチス占領下のフランス各地を逃げまどい、放浪し、苦難のなかからシャンソン歌手として成功する。
その波乱の人生をはじめて綴った本書、未完の自伝が人びとに強い衝撃を与えたのは、父親による「インセスト=近親相姦」の思い出が語られたことだった。
「タルプでの一夜、わたしの全世界が恐怖の地獄に転落した」「父に対して、わたしは強い恐怖心を抱いていた。…夜、大きな扉が音を立てて閉じ、中庭の敷石の上を歩いてくる父の足音が響いてくると、わたしは怖くてベッドの中で震えが止まらなかった」一台の黒いピアノとともに生きたバルバラの生涯…。

この近親相姦の事実を知ってからは、「ナントに雨が降る」の意味が深く変わった。このとんでもない名曲の根底には、まったく語られなかった深い闇が横たわっていた。我々聴く者に名状しがたい情動を呼び起こす曲の最深部である。





再生装置はいつものように、LINN LP12(urika2) +Klimax DSM/2 +自作WE205Fアンプ+タンノイIIILZ

イメージ 2
イメージ 3

 今回、e-Bayでフランスオリジナル盤を入手して、そちらのレコードを再生している。日本盤でも、十分バルバラの魅力は味わうことができるので大丈夫だ。ただオリジナル盤は、音像にぼやけがなくて、しっかりと力強い。
イメージ 4

ちなみに日本盤のジャケットもあげておこう。オリジナルの表面と裏面を合わせて一つにしたようなデザインで、輸入元の心意気が感じられる。
イメージ 5


 二月も節分を迎え、なにやら急に身体が緩んだせいか、気分も明るくなってきた。久しぶりに、お茶の水のデスク・ユニオンで中古レコードを探っていると、カラヤンのワーグナー「ワルキューレ」全曲盤が眼にはいる。独グラモフォン<tulip>とあるので、1960年代の初期盤だ。はるか昔、大学生時代にもこのレコードは持っていたが、その時のものは日本グラモフォン盤でしかも後発盤だったはず。今は、独グラモフォン盤tulip印(レコードレーベルのデザインが後年はブルーの二重線になったが、1960年代の初期のものは、チューリップのような形をした柄で縁取られている)
イメージ 1
という記述を見つけると、だいたい入手して聴いてみたくなる。独グラモフォン盤の1960年代の録音は、実にいい音がすることは、ヨッフムの一連のブルックナー、クーベリックのシューマン交響曲、ベームのモーツアルトの交響曲など、体験済みである。
 カラヤンの「指環」は意外とその精緻な(躍動的というよりは静的な)演奏が気に入っていて、あのころは(大学生時代)、ベームの「指環」と並んでよく聴いていたものである。
 今回も、さっそくその一面目、ジークムントが逃げ込んできてジークリンデと出会う場面から聴く。G.ヤノヴィッツのシークリンデも、J.ヴィッカーズのジークムントもなにやら薄く軽い。うーん、カラヤンの指環はこんな感じだったっけなあ。チューリップ盤(初期盤)にしたからと言って、画然とよくなる、ということもないのか。というより、カラヤンの「指環」の演奏は盤の音質的向上によっても感激が大きくなることはあまりないのだなあ、と感じた。
 そこでふっと聴こうと思ったのがショルティの「指環」。1950年代末から1960年代の前半に、DECCAレコードが総力を挙げて録音したこのレコードは演奏史上でも録音史上でも世紀の偉業であり、今日でもこれを超えるものは存在しない、と言われ続けてきたものだ。
 私の場合はショルティの指環は、CD時代になってから聴き始め、何度かCDのリマスタリング盤も買い換えながら、今日に至っている。何度か聴いては、いいなあ、と思ったり、やはりホッター、ヴィントガッセン、ニルソンなど最高の歌手たち、企画のプロデューサー、J.カルショーはすごいなあ、とは思ったりしていた。
 最近のLPレコード再開においては、だから、一応、ショルティ「指環」ハイライト盤4枚組(後年のTELDEC時代のものa.1980年)などを入手してお茶を濁していた感じだった。
イメージ 3

今回は、ショルティの演奏を、国内発売の最初期盤(1966年、キングレコード)でかけてみた。すごい!なんという演奏なのだろう。演奏に構成力があって、確信に溢れている音だ。切迫した緊張感を表現する弦の音が、生々しく恐ろしささえ感じさせる。録音がすごくて、ちょうど巨大な建築物がその内部まできわめてくっきりと見渡せるような心地よさ。このレコードは、わざわざ「sonic stageと謳っているように、実際の舞台以上に生々しい音響空間を作り出したdeccaサウンドの真骨頂と言われてきたわけだが、今日、ついに私はようやっと深くこの 音響のステージを実感した。あまりにすごいので、「ワルキューレ」全10面のレコード盤を、三幕三場のヴォータンの別れ、やら、二幕四場のブリュンヒルデの死の告知、やら、三幕前奏曲ワルキューレの騎行、やら、一幕三場の春の訪れ、と好みの部分をあらかた聴いてしまった。
 
(ショルティ指揮「ワルキューレ」第一幕前奏曲


イメージ 4

しかし、不思議なものだ。何十年も聴いてきた演奏が、ようやっと今日になって、ついにその真価を体感できることになったとは。
まあ音楽に限らず、古典を味わう、ということは、このように時間がかかることなのかもしれない。しかし、そうなると逆に、実に人生(おおげさ(笑))おおいに楽しみである。慣れ親しんだものたちが、ますます味わい深く光り輝く、ということにもなるのだから。

 しかし、不思議。なぜこんなに。おそらく、レコードは国内盤なのではあるが、音のいいLONDON盤で、しかも発売日付が1966年、とほんとに初期盤に近い。このレコードは、音楽関係の友人(プロのチェリスト)から「もうLP装置もやめて聴けなくなったが、捨てるにしのびなくずっと保存してきたもの」をいただいたものだ。パンフレットには、購入日時が1969.12と記されている。ちょうど50年経って、私のオーディオ装置でふたたび再生されることになろうとは。

(装置はプレーヤーがLINN LP12 でurika2を内蔵した形。考えてみれば、urika2を搭載して、ショルティのワーグナーを聴くのは初めてだったかもしれない。LP12(+
urika2)の再生能力恐るべし、ということかもしれない。)



イメージ 2
(実はなんだかんだと言って、「指環」のレコードは「レコード再開」のこの3年のあいだでも、結構貯まっていたことに気がついた)


イメージ 5
LINN LP12 KANDID

↑このページのトップヘ