KUROのブログ

黒崎政男〜趣味の備忘録

2019年08月

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先日は、チェリ・ブル8をLP12(urika2) + KlimaxDSM + EXZAKT520というオールLINN装置で聞いたが、今日は、タンノイIIILZ+RCA250真空管アンプというヴィンテージ装置に戻して、聞き返してみる。そうこうしているうちに、旧東ドイツETERNA盤のブルックナーに移行し、結局、ブルックナー三昧の夜となった。

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左が2019年リマスタリング盤LP(三枚組) 右が2015旧盤(二枚組)
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Altus 2019年 チェリビダッケ ブルックナー8番 二楽章 新LP盤




Altus 2015年 チェリビダッケ ブルックナー8番 二楽章 旧LP盤



このように比較してみると、明らかに新LP盤(2019)の方が、充実した音がする。ff(フォルテシモ)もうるさくないし、ppでも緊張が途切れない。ffではティンパニーも弦も管もそれぞれ固まらずに心地よく鳴っている。
これに比べると、旧LP盤(2015)は派手で、ff(フォルテシモ)はうるさく、音が薄っぺらい。ffでは全体像が崩れるし、ppの静謐感がでてこない。
もちろんこんな感想は、2019年盤(新マスタリング、新カッティング)が出たからこういうのであって、2015年盤だけしかなかった昨日までは、こんなことは思ってもみなかった。比較する、というのはとても残酷な行為でもあるわけだ。


そうこうしているうちに、なにやら、旧東ドイツEterna盤が聞きたくなってきた。1990年ライブの2019年最新LP盤を聞いているうちに、いったい、1970年代のEterna盤と2019年盤の比較(といっても厳密な意味では、演奏家もオケもホールもまったく違うのだから)をしてみたらどうだろう、と思いついたわけである。
ブルックナー8番二楽章だけは合わせておこう。


オイゲン・ヨッフム指揮ドレスデンSKブルックナー第八番 第二楽章

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チェリ盤とくらべるとずいぶん音の鳴り方は違うのだが、ヨッフムのこれはこれでとても充実している。気持ちよくなってきた。

というわけで、Eterna盤ブルックナー三昧が始まってしまった。

ここでは、クルト・マズア指揮でライプチッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、1975年録音、録音技師クラウス・シュトリューベン、でブルックナーの9番の第一楽章を聞いてみよう。


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なんと充実した、いい演奏だろう。クルト・マズアのEterna盤ブルックナーは実にいい。このジャケットをみるかぎり、録音会場がドレスデンの聖ルカ教会なのか、あるいは、ライプチッヒで録音したのかは不明だが、とにかくいい。
クルト・マズアの後期ブルックナー交響曲をe-bayなどで探してみよう!







 

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<演奏を録音する><オーディオで再生可能なようにメディア化して世にリリースする>
これらは何やら無色透明な作業のように思われて、実は<録音>や<メディア化>の作業こそ<演奏の表現>に決定的な影響を与えているのではないか。

・・これが目下のところの私の大きな関心事だ。

 例えば、1970年代に同一の演奏を、西欧EMI社と東ドイツSchallplattenn 社が共同作業の録音の上、それぞれがEMI盤とETERNA盤で発売する。同一演奏なのに、まったく音が違うことは以前述べた通りである。ある音楽評論家の言葉をふたたび借りれば「このヨッフム・ブルックナー全集はEMI盤でも手には入るのだが、伝統あるドレスデン・シュターツカペレの古雅のサウンドは、旧東独エテルナ盤によってしか伝わらない、というのが、レコード蒐集家の共通した認識である」(福島章恭氏)ということだ。 

こんなことをいろいろ実験していたのだが、とても興味深い新譜のLPレコード の存在に気がついた。

「新リマスター・新カッティングで生まれ変わる来日公演。常軌を逸した神秘の名演、非日常の時間感覚がもたらす究極の美」

と帯にある。えっと?思った。チェリ・ブル8の1990年ライブのレコードは2015年にAltus(キングインターナショナル)から二枚組で発売されている。私の愛聴盤だ。
同一の演奏が、同じAltus(キングインターナショナル)から、また発売されたのか。しかも今度は三枚組になっている。たった四年で同じ演奏のLPレコードがまったく形態を変えて発売される。
2015年LP(2枚組)だって定価13,600円。今度のLP(3枚組)は、定価19,800円もする。なんということだ。
再発売されることも値段も、まさに「常軌を逸している」と思った。こんな高価では数も売れるわけがないし当然赤字ではないのか。採算は度外視しているのか。Altusかキングインターナショナルの<心意気>なのか<信念>なのか。

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さっそく、新リマスター盤を聞いてみることにする。
違う!まったく違う!同一の演奏とは思えないほど違う!


■旧LPは、ザードロの<ティンパニー協奏曲>、新LPでは<チェリビダッケのブルックナー>に聞こえる

では鳴らしてみよう。まずは

旧LP盤(2015) 一楽章冒頭





次に

新LP盤(2019)  同じく一楽章冒頭



旧LP(2015)は、やはり聞き慣れた音がする。だが、新LP(2019)と比較してみると、音が派手で中高域がうるさい。弦の音の線が細く、高域と低域が強調されている。弦の音もやや痩せている。これに対して、新盤(2019)は、音がじっくり、しっとりして重厚な音だ。とても充実した音がして痩せていない。そして全体がバラバラではなく、一つの有機体のように聞こえる。とてもnaturalだ。ちょうど、旧盤と新盤の差は、西独EMI盤と東独Eterna盤の差に対応しているように感じられる。
そして、旧盤の一番の特徴は、名ティンパティスト、ザードロの音が強調されて入っている。他で残されているDVDの映像もザードロが中心的に映っていて、このブルックナー8番はまるでティンパニー協奏曲であるかに聞こえる。もちろん、ザードロのティンパニーはあまりに魅力的でこれはこれで魅力的なのではあったが、この新LP盤(2019)はちゃんとチェリビダッケのブルックナーが聴ける、という感じである。



■新LP盤(2019)では、静謐感、緊張感が増していて、音楽に愛情がこもっているように聞こえる

次に
旧LP盤 四楽章冒頭



次に
新LP盤 同じく四楽章冒頭



新(2019)盤では、静謐感がただよい、緊張感も深い。概して、音楽に親密であり愛情がこもった演奏に聞こえる。木管の響きも金管の響きもそれぞれが見事なアンサンブルをなしている。第2バイオリンやヴィオラなどの内声部の弦が実に魅力的になっていて、うっとりさせる。これに比較してしまうと、旧盤(2015)たうるさく、外面的で多少暴力的にきこえてしまう。



2015盤と2019年盤の違いは、いったい何なのだろうか。
ライナーノートの後付をみてみると、次のようだ。

旧LP(2015)二枚組
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これに対して新LP盤(2019)は
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つまり、新盤では、他は同じなのだが次の記述

mastering   :  Takao Suga, Asuka Nishimoto
Cutting Engineer  : Kazumi Tezuka

が新しく書き加えられている。
SugaとNishimotoが新たにリマスタリングし、さらにTezukaが新規にカッティングをした、というわけだ。


■60年代などの古い録音のリマスタリングは好きではないが、この1990年録音のリマスタリングは実に魅力的なものだ。

私は、レコードは初期盤が好きで、後発盤やリマスタリング盤は、かならず音質が劣化する、と考えている。何十年も経過して劣化したオリジナルマスターテープを使ったリマスタリング盤は恣意的、作為的な操作が感じられて好きではない。だが、1990年に録音されたもののリマスタリングは、もしかしたら、これまでとは意味が異なるのかもしれない。
 なにか、初期盤とリマスタリング盤の関係について、あらたな視点を得たような気がする。


なお、本日の再生装置は、すべてLINNで、LP12(urika2) + Klimax DSM + EXZAKT speaker 520 という陣容である。

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今日は、LINN スピーカーEXZAKT520と、tannoy IIILZの聞き比べをしようと思って、レコードを聴き始めたのだが、タンノイ用の真空管アンプに火をいれる前に、チェリビダッケ、リマスタリング問題に入り込んでしまった。タンノイのスピーカーでなら、また少し違った結果が出たかもしれない。

LINN EXZAKT520は、衣替えをして、以前のブルーの布から、ハリスツイードを100%使った衣装に替えた。LINNは英国スコットランドの会社だが、地元の有名な生地を使用しているのは、LINNという会社の地元愛が感じられて、なにかうれしい。






 

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