KUROのブログ

黒崎政男〜趣味の備忘録

2024年05月

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今、ベルリンで、ドイツ・オーパー・ベルリンによるワーグナーの『ニーベルングの指環』全四夜、観劇中。今日はこれから、いよいよ最終夜「神々の黄昏」を聞くのだが、昨日の夜は一日空いていたので、ベルリンフィルの本拠地、フィルハーモニーで、グザヴィエ・ロトを聞くことができた。





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三ヶ月前、このベルリン行きの計画を立てていた時、ベルリンの演奏会を検索していたときに、なんとロトがベルリンフィルを振るこの演奏会を見つけ、嬉しくてさっそくWebサイトでチケットを購入しておいたのである。
 便利になったものだ。ベルリンのホテルもbooking.comで簡単に予約、演奏会のチケットも博物館の時間指定の入場券も日本から簡単に予約できる。ベルリンフィルに行くのでも、行き方はGoogle mapに入れると、懇切丁寧に日本語で、電車の乗り方、乗り換え、道案内まで完璧だ。海外で過ごすのがこんなに便利になるとは思わなかった。

しかし、曲はブルックナーの三番である。しかも初稿版ときている。ブルックナーの7、8、9番と後期のものは、とてもよく聞いていて大好きなのだが、三番かあ。ほとんど聞いていない。さらにブルックナーは完成した曲をしばしば書き換える。同じ曲でも、初版と後版では全く違う曲になっていることさえある。
 例えば名曲四番『ロマンティック』の三楽章はほとんど違う曲に差し替えられている。昨年もエリアフ・インバルが四番を振るというので演奏会にサントリー・ホールに出掛けて行ったのだが、初稿版なために聞き慣れしんだ四番とは別物。未完成な感じでガックリして帰ってきた。


だから、このブルックナー、三番で初稿版。これは大いに準備しないとダメだなあ、
とロトのまさにこの版の演奏がCDで発売されたばかりだったので、さっそく購入。三ヶ月の間、暇さえあれば、このブルックナー三番のCDを、擦り切れるほど、と言ってもレコードじゃないから擦り切れないが、よくよく聞いた。

初聴では、全くわからない。単なる混沌としか思えない。これいい曲なのか。なんだ、これは。そうやって今日も聴き、明日も聴き、暇があれば流し聞していた。ロトだから大丈夫!そう信じて二ヶ月もたったころ、だんだん構造が文節化して聞こえるようになってきた。あっと、これは大丈夫かも。そのうちにメロディも覚えるようになり、後期8番で聞ける魅力的スケルツオにも匹敵する3楽章!

こんな準備をして臨んだ演奏会だったので、大堪能できた演奏だった。ベルリンフィルの音の凄さ。磐石の安定感で、とにかく力強い。まるで鋼鉄の戦車が向かってくるような迫力だ。ピアニッシモの弱音でさえ、しっかりとした芯があって強い。これがフォルテッシモになった時のダイナミックレンジがものすごく広いので、とてつもない音の爆発となる。しかも一切の破綻がない。とんでもない怪物を、小さな身体のロトが飛び跳ねながら、見事にコントロールしている。CDはケルンのオケでの録音だったので、この演奏会でのオケでは二倍以上のスケール感のブルックナー三番になっていた。最終楽章は、あたかも天国での羽目を外したどんちゃん騒ぎ、のようで、本当にものすごかった。
こんな難曲を名曲に仕立て上げたロトの力量には、ほんとうに感銘を受けた。いい夜だった。

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今日、仁左衛門の一人勧進帳を見た。

長唄囃子連中をバックに 弁慶、富樫、義経、四天王、番卒を一人で勤めるというもの。能登半島地震チャリティーイベント、ということで、司会、記録、長唄連中、ご本人たちもすべてボランティアで出演。会場は約800人の客席だったが、その参加費もすべて、石川県に寄付というものだった。

仁左衛門の富樫はかつてから歌舞伎の舞台で見ていたが、すばらしいものだった。その富樫を、弁慶とともに(さらには義経をも)仁左衛門が一人で語る、というのだからすごい。長唄勧進帳が、あたかも、仁左衛門が大夫となって語る義太夫勧進帳になったようなものだ。

冒頭、富樫の「かやうに、候ふ者は、加賀の国の住人、富樫の左衛門にて候」から、はやくもうれしくなってしまう。

勧進帳長唄の美しさ

 それにしても勧進帳の長唄はなんと美しいのだろうか。かつてからSPレコードで確かに勧進帳は聞いていたりした。しかしそれは有名どころ、冒頭「旅の衣は篠懸の・・時しも頃は如月の・・・」「ついに泣かぬ弁慶も 一期の涙ぞ・・」ラスト近く「鳴るは滝の水 鳴るは滝の水・・・」などの有名どころ。
 今回はすべての場面で長唄を堪能できた。 とくに印象的だったのは、後半部、酒を振る舞われて弁慶がたっぷりと酒を飲み干す場面。歌舞伎では、ここは弁慶が大きな杯で見事に飲み干し、番卒たちとじゃれあうところで、ついその場面に気を取られがち。だが、今日は、そういった観る場面がないために、長唄「実に実に心得たり 人の情けの盃を 受け手心をとどむかや 今は昔の語り草・・・」とピアニッシモで嫋々と歌われる美しさには、こころとろけてしまった。

一人勧進帳の魅力と難しさ

やはり圧巻は山伏問答。富樫と弁慶の掛け合いが、仁左衛門お一人で演じるのを観れるのだからうれしくてたまらない。
特に緊張感あふれたやり取りになっていたのは、後半。ふたたび問わんその兜巾はいかに、のあたりから。

 
富樫: 額に戴く、兜巾(ときん)は、いかに
弁慶: これぞ、五知(ごち)の宝冠にて、十二因縁(じゅうに いんねん)の、ひだを取って、これを戴く。
富樫: かけたる、袈裟は。
弁慶: 九会(くえ)曼荼羅(まんだら)の、柿の篠懸(すずかけ)。
そして それ九字真言と言っぱ 臨 兵 闘 者 皆 陣 列 在 前の、九字なり。から、慎んで申すと云々、かくの通り。
まで実に圧巻の語りだった。

もちろん、クライマックスは、富樫が弁慶の心に感じ入って、ついには義経を逃がしてやる、覚悟を決める場面。
私が歌舞伎で勧進帳を見るときに、富樫の心を変えるこの瞬間の気持ちがどのように役者によって表現されるか、が一番の見所になっている。勧進帳を観る、とはまさにこの瞬間を見ることだ、とさえ思っている。つぎの台詞の場面である。

富樫: いや、誤まりたもうな。番卒どもが、よしなきひが目より、判官殿にも、なき人を、疑えばこそ、かく折檻(せっかん)も、し給うなれ。
今は、疑い、晴れ申した。 

今日の仁左衛門は、「番卒どもが、よしなきひが目、・・」のところでズンとテンポを落として、しずかにしずかに語りだしてくる。 そして「判官殿にも、なき人を・・」で深い感情と迷いとそして決意を深々と語った。すばらしい富樫であった。

それにしても、一人勧進帳はたいへん困難な試みである。
富樫と弁慶の問答のところ、弁慶の気持ちになりきって台詞を語り終えた瞬間、今度は突然富樫の気持ちに切り替えて台詞を語る。この入れ替えの長い連続である。
「いわれはなんと」「聞くもおろかや・・」「してまた修験に・・」これを空でやるのは超人的な所業である。
義太夫における大夫はたしかにこのような語り分けをやっている。しかし、義太夫の大夫には「床本」という強い味方がある。気持ちの切り替えは、床本の文字が瞬時につけてくれるだろう。

今日は長唄勧進帳と仁左衛門丈を堪能できた一日だった。 

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