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(左) 日本盤  (右) 独オリジナル盤


以前から欲しかった、フルニエ(cello)+セル(指揮)ドヴォルザークのチェロ協奏曲(独グラモフォン盤)のドイツオリジナル盤。ヤフオクで3000円から、で出品されていた。盤面も上々そうだし、競って落札した。競った相手も次々登場してきたので、相当の高値まで上がってしまったが、えいやー、と競り勝った。
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一聴して違うのは、オリジナル盤は、音楽が躍動して生命力に溢れている、ということだ。日本盤のほうは、くすんでしまった死んだ形骸物なのではないか、と感じる。日本盤のほうは、何度も何度も実は聞いていたのだが、いつでもなにかぱっとしない演奏、わくわくさせてくれない形骸なのだ。なぜ、こんなに日本盤なのに聞いていたか、といえば、日本盤とは言っても、赤STEREOでレーベルはtulipのall right、という最初期盤だからである。相当いいはずだ、と思っていたからだ。
しかし、初めて聴いたこの独オリジナル盤は、喜びとわくわく感に満ち満ちている。低域が出ているとか、高音が輝かしい、とか、そういう素材のレベル(質料的)ではなくて、音楽そのものの(形相的)レベルで、違うのだ。
しかも、恐らく誰が聴いても、この差はあきらかだと思う。ひどい。ひどすぎる。
なんということだろう。


まず日本プレスの音。



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次に今回入手したoriginal ドイツプレス(初期盤)。






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発売当時の日本(1960年代~70年代)は、では、どんなだったのだろう。あのフルニエのすごいレコードが出た!すばらしいはずだ。独グラモフォンだ。しかし、日本で発売されたレコードの音は、死んで生命力の乏しい形骸だったとしたら。
 極東の国の人々は、いい演奏に違いない、と自分に言い聞かせて、このレコードを聴いていたのだろうか。当時のドイツグラモフォン社は、極東の国にはどうでもいい劣化したマスターテープしか送ってこなかったのだろうか。それとも日本支社でのレコード製作技術が実にお粗末だったのだろうか。
この差を聞いて、なにかとても悔しい気持ちに襲われた。私が青年時代に聞いていたレコードは、本場のものとはずいぶん違うものを聞かされていた、ということなのか。
 しかし、まあ、いいだろう。いま、21世紀もこんなに経って、50年前の名演が瑞々しい音で生き生きと聴けたのだから。
                  ★
 日本盤のジャケットとオリジナルドイツ盤のジャケットを見比べていると、なんだかフルニエの写真の差が、そのまま音の差を表現している!ように思われてきた。モノクロで動きのない遺影のような日本盤のフルニエと、生き生きとしたカラーで溌剌と演奏しているオリジナル盤のフルニエ。名は体を表す、ではないが、ジャケットは音質を表す、ということか。
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装置はいつものように、LINN LP12(+urika2) (KANDID) + LINN Klimax DSM/2 + WE205D single AMP + Tannoy III LZ (red monitor) である。