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シャンソンといえば、戦前のボワイエ「聞かせてよ、愛の言葉を」やリナ・ケッティ「待つわ」などをはじめ、味わい深い曲で溢れている。戦後でもイヴェット・ジローやコラ・ヴォケール、イヴ・モンタンなど、音楽がアメリカナイズされて<フレンチポップス>となってしまう以前のフランス音楽は、実に魅力的だ。
 そのなかでも、バルバラ(Barbara 1930~1997)のシャンソンは、その独特の声もあって、きわめて独自の魅力に満ちている。
 私がバルバラのレコードをよく聴いていたのは、大学院生のころだから1980年前後のことになる。
 今回、銀座のsound create というオーディオ・ショップで、宗教学者の島田裕巳氏と続けている「オーディオ哲学宗教談義」のために、何曲かLPレコードを選ばなければならなくなった。かつての自分が夢中で聴いていたレコード、ということで思いついたのが、このバルバラ。曲はなんといっても「ナント(に雨が降る)」Il pleut sur Nantes。
 当時は、バルバラの「バルバラ・私自身のためのシャンソン」と邦題がついたBarbara chante Barbaraというアルバム全体を聴いていた。日本盤ではA面1曲目(フランス盤では、B面1曲目。他の曲の配置もまったく異なる)にある「ナントに雨が降る」。この曲の異様な暗さと深さに感心させられて、深く印象に残った。その当時は、なにか、戦争で亡くなった人を悼む曲なのかなあ、と勝手に思っていた。

 その歌詞を簡単に挙げてみる。

ナントに雨が降る
ナントの空は私の心を嘆きに閉ざす
・・・・・
「いまわの際に、彼は一目会いたいと願っているのです。」
・・・・・
彼は死ぬ前に 私の微笑みであたためて貰いたがっていた。
だがその夜に彼は亡くなった。
一言の「さよなら」も「愛している」もなく
ああ、わが主よ (Mon Pere, mon Pere)
・・・・・


いま当時の対訳(レコードのパンフレット)を見てみると、「父」と訳すべきところを「主」と訳してあった。(なるほど!いま分かったのだが)そうすると、この歌には、一切、父が出てこないことになる。「ああ我が主よ!」ではなにがなんだか分からない。

歌詞の内容は、

ずっと会っていなかった父がいまわの際で私に会いたがっていた。私はナントに駆けつけたが一足遅く。彼は私に最期に微笑んでもらいたかった。しかしそれはかなわなかった。ナントに雨が降る

ということだ。
この現実の、都市ナントには、この曲のために「バルバラ通り」が作られ、また歌詞に出てくる架空のグランジュ・オー・ルー通りも、1986年に実際の通りに命名された。ネット上の情報を見ると、当時、バルバラは公演の宣伝を一切行わない。にもかかわらず発売直後にチケットが完売する現象は「神話」と呼ばれ、また、制作・発表した作品群はフランス国民のみならず様々な国の聴き手に感銘を与え、現在も圧倒的な支持と評価を受け続けている、ということだ。

 数年前のことだが、私はバルバラの遺作『一台の黒いピアノ』に書かれていた極めて衝撃的な事実を知って、唖然とした。ブックDataベースから内容を引用しておこう。
シャンソンの女王、バルバラは、ユダヤ人として生まれ、ナチス占領下のフランス各地を逃げまどい、放浪し、苦難のなかからシャンソン歌手として成功する。
その波乱の人生をはじめて綴った本書、未完の自伝が人びとに強い衝撃を与えたのは、父親による「インセスト=近親相姦」の思い出が語られたことだった。
「タルプでの一夜、わたしの全世界が恐怖の地獄に転落した」「父に対して、わたしは強い恐怖心を抱いていた。…夜、大きな扉が音を立てて閉じ、中庭の敷石の上を歩いてくる父の足音が響いてくると、わたしは怖くてベッドの中で震えが止まらなかった」一台の黒いピアノとともに生きたバルバラの生涯…。

この近親相姦の事実を知ってからは、「ナントに雨が降る」の意味が深く変わった。このとんでもない名曲の根底には、まったく語られなかった深い闇が横たわっていた。我々聴く者に名状しがたい情動を呼び起こす曲の最深部である。





再生装置はいつものように、LINN LP12(urika2) +Klimax DSM/2 +自作WE205Fアンプ+タンノイIIILZ

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 今回、e-Bayでフランスオリジナル盤を入手して、そちらのレコードを再生している。日本盤でも、十分バルバラの魅力は味わうことができるので大丈夫だ。ただオリジナル盤は、音像にぼやけがなくて、しっかりと力強い。
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ちなみに日本盤のジャケットもあげておこう。オリジナルの表面と裏面を合わせて一つにしたようなデザインで、輸入元の心意気が感じられる。
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