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(特別企画 文化財よ、永遠に 修理工程ガイド ©2019東京国立博物館)


 今日から、上野の東京国立博物館で、日本の文化財の修理の様子を展示した(住友財団修復助成30年記念)「文化財よ、永遠に」の「特別企画」が開催されたので、さっそく見に行ってきた。
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 パンフレットの写真で分かるように、福井県髙成寺の千手観音菩薩立像(せんじゅかんのんぼさつりゅうぞう)(重要文化財)はきわめて魅力的なたたずまいをしている。長い間、仏像コレクターをしている私にとっては、この千手観音を自分で所有したい、などと大それたことはまったく思わないにしても、お顔の木目がくっきりとみえ、唇の両脇に、木目が実に美しく集中しているさまは、仏師がいかに鋭く木の木目を見据えているかが分かる。(しかも、この仏像は「一木造」で頭と体が一本の木材から彫り出されているものだ。)ああ、この木目を出していなくてはダメだな、と現代の私は思ってしまう。
 この平安時代の仏像、今回何が修復されたのか、と言えば、<江戸時代の修理>からの修復である。今回の<平成の修理>で仏像が解体されたとき、中に、江戸時代元禄14年(1701)に大規模な修理を行ったという墨書きの銘記があった。



 では、この平成の修理までの、この仏像の姿はどのようなものであったのだろうか。会場で無料配布されている「修理工程ガイド」を見て、実に驚く。

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(「文化財よ、永遠に 修理工程ガイド」©2019東京国立博物館)

なんと、江戸時代の修理で、顔と体が白い色の胡粉で塗られ覆われたのである。この平成の修理では、この江戸時代にふされた彩色を取り除き「面目を一新した」ということである。

重要文化財 千手観音菩薩立像
木造、彩色 像高 186.0cm  平安時代・9世紀 福井・髙成寺
修復年度 平成9〜13年度 修復事業者:公益財団法人美術院


 現代の私の感覚から言えば、江戸時代のお姿より、平成のお姿のほうが圧倒的にすばらしく、みごとな仏像修復がなされた、と心の底から思う。

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しかし、まてよ、とも思う。この仏像が作られた当時の平安時代、このお顔は本当に何も塗布されていない<木地むき出し>だったのだろうか。このいま見るお姿が、オリジナルの姿なのだろうか。
 江戸時代の修理は、本当に、自分勝手な色を塗り込めたのだろうか。製作当時、いったいこの仏像はどのようなお顔をなさっていたのだろうか。
 この仏像修復は、いったい何を目指して「修復」が行われたのだろうか。「平成の修理では、当時の造形がわかるように、彩色を取り除き、面目を一新しました」とパンフレットには書いてある。確かに仏師の彫った造形は分かる。だが、平安時代の当時、何の彩色も施されていなかったのだろうか。

 我々は、例えば、世界最古の木造建築群として知られる、奈良の法隆寺の現在の美しい姿を誇りに思う。だが、建築当初はおそらく、今日の古色に枯れた五重塔とはまったく異なった色合いをしていたに違いない。我々が愛しているのは、千年以上の時の変化が加わった法隆寺、なのである。

 さて、この髙成寺の仏様は、平安時代のオリジナルはどのような色彩だったのだろうか。それは想像するしかないのか、あるいは、オリジナルの姿を追い求めるということ自体、なにか、「永遠の始原」を探し求めることに似て、虚しい我々の<欲望>なのだろうか。



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我が家には、十数年前に買い求めた、江戸時代のものと思われる極彩色の広目天(33cm高(台座のぞく))がいる。
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入手した当時は、もっともっと極彩色だったが、我が家にいるたった十年あまりのうちにも経年変化を起こして、ずいぶん色が剥げてきている。
 千年を超すような経年変化、っていったいどれぐらい膨大なことなのだろうか。そして、この我が家の広目天を<修復>しようとしたら、いったいどれほど膨大な手間が掛かるだろうか。

そんなことを考えた一日だった。