KUROのブログ

黒崎政男〜趣味の備忘録

カテゴリ: 日記

 IMG_6300



究極のアナログ録音・ダイレクトカッティングLPと銘打ったサイモン・ラトル指揮のベルリンフィル、ブラームス交響曲全集。

どんなにすばらしい音がするのだろうと、興味津々で私のオーディオ装置で聞いていたのだが、そのうちに、他のブラームス交響曲の歴代の名盤と比べて、飛び抜けてすばらしいのだろうか、という問いが。

IMG_E6225




 そんな興味から、今回、ブラームスの交響曲1番のLPを入手していろいろ聴き始めた。このジャンルは1960年後半からは聞き始めているので、何度か中断はあったにせよ、半世紀は聞いていることになる。だから、私の知らない<世紀の名盤>が次々調べ出てくるのには驚いた。

R0000897



たとえば、

■ルドルフ・ケンペ指揮ミュンヘン・フィルのブラームス一番(1975年5月録音、ミュンヘン)

については、ネット上に溢れている評価をちょっと拾ってみると「滋味溢れる内容の豊かさ」、「ケンぺ&ミュンヘン・フィルが見事に描き出した至高のブラームス像」、「自然な高揚感が素晴らしく古くから名演と言われるものは名演」、「バスフLPレコードで、1975年5月録音、ルドルフ・ケンペが指揮したブラームス交響曲第一番ハ短調は、極上の音楽が記録されている」など、この盤に対する愛情溢れる評価が目白押しである。
 そうか、まったく知らなかった。ブラ1はケンペ盤か。そう思ってお茶の水の中古レコード店で見てみると、国内盤、独ACANTA盤、独BASF盤など、ケンペ=ブラ1LPはたくさん存在していたのだ。

IMG_E6302





★精神が浄化されていくようなすがすがしさ。ケンペが元オーボエ奏者だったということが感じられるように、全体が木管的な透明な響き


■ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団(1959年録音)

ワルターのブラームスは第四番が私の高校生時代からの愛聴盤だったから、ブラ4といえば、ワルターと思っていた。1楽章のあの哀愁と寂寞感に満ち満ちた冒頭の走り出しからして、深く心を打たれる。だが、ワルターの一番のほうはちゃんと聞いてこなかったように思う。
 ワルターの音楽は、コロンビア交響楽団の高域のキツい痩せた音が特徴的(sony盤)で、今回は、だから、オリジナルのCBS盤(米国盤)を入手してみた。

IMG_E6301





★愛情に満ちた、慈愛溢れる演奏。ゆるされた安らぎ。こちらの愛情があふれ出てくる。たおやめぶり!


■シャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団(1968年)

 昔からとても有名なレコード(ブラームス1番ならこれが決定盤、と言われ続けてきた)で、私のCDラックを見ると、別な時期に二度入手してあった。そしてこれまではあまりピンと来ていなかったのかもしれない。昨日、神保町9階の中古レコード店にふらっと寄ってみると、このLPレコードがあった。日本盤だけど初盤だよ、という店長のアドバイスに従って購入してきた。

IMG_E6306






なんという!とんでもない演奏。凄絶なダイナミック、という文句がまさにぴったりの、とんでもないエネルギーに満ちた演奏!こんなにすごかったのか。ますらおぶり!
アルプスの峰々の雄大さもクララへの深い愛もあふれ出てくるようだ。
これがフランスのオケの音だろうか。当時、フランス文化省のアンドレ・マルローが、パリ音楽院管弦楽団(コンセルヴァトワール)を潰し、1967年に新たに立ち上げられたオケで、ミュンシュが初代音楽監督に呼ばれたその当初の演奏。ミュンシュはすぐに急逝してしまうので、これとベルリオーズの「幻想交響曲」がとんでもない名演として残っていた。その事情はこれまでもよく知っていたが、ここまでのすばらしい演奏だとは知らなかった。これまではCDやネットで気楽に聞いていたからだろうか。今回、日本盤とはいえ初期盤のLPレコードで聞いたからだろうか。
 あまりにパワフルで凄絶な演奏なので、常に気楽に聞けるレコードではないが、決して忘れ去ることのできないミュンシュのブラ1であった。

ラトルのブラームス1番の「究極のアナログ録音」から端を発して、聴き続けたブラームスの交響曲1番の名盤の数々(ベームのベルリンフィル盤、CDだがガーディナーORR盤のすばらしさ、については割愛する)。
今日、クラシック音楽の大先輩T氏と湘南SPレコード愛好会の定例会でお会いしたのだが、私がブラームスの一番ばかり聞いている、という話しになったら、「あっ!それって、手塚治虫と同じじゃないですか。手塚さんは、作品を書くとき、繰り返し繰り返しブラームス交響曲一番ばかり掛けていた、ということですよ。とても有名な話しです。もう同じ境地ですね(笑)」ということだった。ちょっとびっくり、であった。


                   ★

情報も現物もすぐ手に入るデジタル情報時代。ブラームス一番をいろいろなレコードで聞いてみようと思って二週間も経たないうちに、ほぼ気になるLPレコードは今回すでに入手できている。私の学生時代、ほとんど情報は閉ざされており、また限定されたレコードしか入手できなかった。
 どちらが音楽を深く聴けているのか。いずれにしても、レコードをめぐる状況の変化に唖然とするばかりである。

使用したオーディオ装置 LINN LP12 urika2 + Klimax DSM/2 + RCA250 amp + タンノイIIILZ
R0000895


KUROのブログ 引っ越しました。

Yahoo!ブログサービス終了のため、こちらのLivedoor Blog に
引っ越ししました。 これまでの記事はこちらに移行してあります。

932ba969.jpg

イメージ 1

 2014年9月のベルリンでの録音だから、もう最新録音、というにはずいぶん時間が経ってしまったのだが、サイモン・ラトルがベルリン・フィルと入れたブラームス交響曲全集。これの謳い文句が

「ベルリン・フィルのメディア史に残る大企画」

というもの。カッティング・マシンをフィルハーモニーの会場に持ち込み、ワンポイント・マイクで(いっさい編集やマスタリングを行わず、たった一組のステレオ・マイクで)拾った音を直接カッティング・マシンにつないでラッカー盤を刻んだ、ものだという。パンフレットにはこうある。

「ワンポイント録音によるダイレクト・カッティング 正真正銘の「生音」を録った究極のアナログ・ディスク」

まあ、考えてみれば、SPレコードはみな一切編集なしのダイレクトカッティングで製作されたので、SPレコードこそ正真正銘の「生音」を録った究極のアナログ・ディスクなわけだが、こちらのLPはその長尺版といえばいいか。SPレコード録音なら最長でも5分だが、こちらは20分近い。修正不可能なオケの一発録り、なのだから見事なものだ、と言えるだろう。

LP6枚セットで8万円を超える完全限定版で国内で発売されたのだが、早いうちに完売していまったのだから凄い。
 発売当時、私はLINNのプレーヤー、LP12入門版を購入したばかりのときで、レコードソフトにそんなに出費できる余裕はまったくなかったし、そのままになっていたのだが、今回、知り合いが貸してくれる、というので、喜んで聞き続けているところだ。


では、聴いてみよう。 

今回使用のオーディオ装置は

LPプレーヤー: LINN LP12Klimax  (カートリッジKandid 、アームECOS、内蔵フォノイコライザーデジタル urika2)

+ LINN Klimax DSM/2 (プリアンプ相当 DAC)

+メインアンプ: 自作真空管アンプ RCA250 (1928年頃の製品) シングルアンプ(トランス結合 前段はWE349A 整流管83(水銀入り))




イメージ 8


イメージ 7


+スピーカー: タンノイ IIILZ ( red monitor in original cabinet)

である。

 


ブラームスの交響曲1番の4楽章。
せっかくなら、アルペンホルン(ブラームスがクララ・シューマンにかつて贈った旋律)からベートーヴェンの第九を思わせる、印象的な弦楽の3分ぐらいの箇所(アルプスの山々の風景がみえ、短い荘重なコラールが響き、喜びの弦楽の重奏が始まる)。

イメージ 2




イメージ 3





■曲の始まりはあまり音がよくなく、終楽章に向けてだんだん音が圧倒的なものとなっていく?


 音場が透明でいい響きに満ちているように思われるラトルのブラームスだ。
 だた、すべての録音について、なぜか、始まりの1楽章はだいたい音が悪く、楽章が進むにしたがって音がよくなっていく、という印象がある。冒頭はなぜか音場のスケール感がなく、縮こまっている感じなのだが、だんだん音場が広がり充実し圧倒的な音質になっていく、ということだ。
 特に、四番の冒頭や一番の冒頭などは、うーん、そんなにいい音だろうか、という感じなのだ。それが4楽章までくるとすっかり満足した音になっている。私の勘違いかもしれない。何度か繰り返し聴いたが、やはり曲のはじまりは音がよくない。オケの演奏家たちがまだノってきていない、ということもあるかもしれないが、例えばカッティング・マシンが、始めのうちは暖まっていなくて音がよくない、ということはないだろうか。
 あるいは、私のオーディオ装置の暖まり方にも問題があるかもしれない。まあ、とくかく聴き始めはあまりピンとこないかもしれないが、だんだんよく鳴っていくから最後の楽章まで聞き続けるといい、と思うのである。
(このような感じは、例えば、バイロン・ジャニスpとアンタル・ドラディの名盤ラフマニノフピアノ協奏曲第三番のレコードでも、つねに感じてしまうことである。音は始まりの1楽章より、2楽章、3楽章のほうがずっと充実している感じがする。もちろん、実に個人的感想ではあるののだが)



■同一オーケストラで、同一曲を50年前の録音で聞く


 ダイレクトカッティング盤がそれほど圧倒的な音なのか。そう思うと、これまでのLPレコードとどうしても比較してみたくなる。
 じゃあ、というので、同じベルリンフィルの演奏、カラヤン指揮の同曲。1963年録音のものを聞いてみよう。



イメージ 4








イメージ 5

実に気持ちのいい演奏だ。録音も最新ラトルと比べても遜色ない(<---きわめてラフで雑な感想だ。まさにこここそが問題の核心であるはずなのに(笑)。詳細な考察はまたのちに)。

 カラヤンの一連のLPレコードは相場が下がっているのか、このドイツ盤tulipALLという超初期盤でもたった1000円でネットで入手できた。ラトルのLPは一枚あたり一万数千円である。新品の値段と中古の値段を比べるのは、軸がずれるのでまっとうではないが、今日、最新盤LPレコードとは一体なんなのか、考えてみたくなる。



■ブラームスの一番、あらゆる名盤を聞き比べたくなる


すると、さらに、ベルリンフィルのブラームス一番、のみならず、さまざまな一番の名演と比較したくなってくる。クレンペラー、チェリビダッケ、ガーディナー。さらにはミュンシュやベームの一番だってある。
イメージ 6


ラトルの最新録音は、それが録音となった瞬間、個別的な時間性や空間性を消失して、歴史的に累積されてきた何百というブラームス交響曲第一番の一つ、という地位に位置することになる。<記録する>というレコード芸術のありようをしみじみ考えてしまうこととなる。

イメージ 1
(中央)ウェスタンエレクトリック社真空管VT-2(1918年頃製造)(右)同WE205F 。自作アンプで、整流管を外してVT-2のフィラメントのみに通電して慣らしているところ。丸球のなかM字型フィラメントがオレンジ色に美しく輝いている。

 どうしても、物事の始原へ、と遡ってしまう。真空管アンプはもう何十年も製作している。オーディオ装置のなかで、プレーヤーなどは自作などほぼ不可能だが、メインアンプだけは、今日でも自作していい音質のものを作ることができる。いや、メーカー製では、古典的な直熱三極管を使用したアンプはほとんど発売することができない(例外的にWE300Bを使用したメインアンプが売り出されることがある。部品を吟味したものだと300万円近くしているものがある。例えば、ナグラ真空管アンプ300iなど。これでも300Bの真空管は中国製の復刻品を使用している。)
 最初のうちは、戦後の銘球といわれた2A3(直熱三極管)などをオーディオアンプの出力管として使っていたが、そのうちになんとか入手できたウエスタン・エレクトリック社のWE300B(1988年製や戦前の刻印もの)をしばらくメインに使い、さらには最も最古の出力管と思われたRCA250(1928年頃製造)を使ってきた。そして最近は、もっぱら、ウエスタン・エレクトリックの最古の出力管と思われるWE205D(1925年頃製造)をメインに使用している。
 しかし、調べてみると、元祖にはさらにその原型などが存在しているもの。205Dのさらに原型と思われるのが、VT-2(1918年頃製造)だ。先日、ヤフオクでVT-2やらWE205Dやらが大量に出品されていて、信じられないほど安価でこのVT-2が一本だけ落札できた。

イメージ 2
まさに真空管の原理の原型、と言った感じで、プレート(陽極)とグリッド(格子)とヒーターを兼ねた陰極の三極が目ではっきりと分かる。まさに直熱三<極>管、である。 VT-2 Western Electric Co. INC. と金属部に打刻してある。

イメージ 3
陽極、陰極、グリッド、の三極からなる内部構造。

さてこんなシーラカンスのような真空管。音はそもそもするのだろうか。
ちょっと聞き、で聞いてみよう。片チャンネルのモノラルで。ワルター指揮マーラー「大地の歌」戦前のウィーンフィル。
イメージ 5デジタルファイル+LINN Klimax DSM+ WE VT-2アンプ +タンノイIIILZ




想像していたよりも遙かにいい音でなっている!
では、ヌヴーのヴァイオリン(1940年代、CD復刻)
イメージ 6

を同じ装置で。

透明度、鮮烈度、に関しては、もしかしたら、WE205Dよりも上か?などと興奮してしまう。


イメージ 4
左からVT-2、WE205D初期型、WE205D後期型。

イメージ 1
「パピヨン」p.75 挿絵 Sautiller et danser(手彩銅版画)(拡大)

グランヴィル「花の幻想」(1847)は花の擬人化だったが、こちらはチョウチョウの擬人化でできた作品。作者のヴァランはもともとグランヴィルの挿絵の彫刻師で、グランヴィル亡きあと、「野菜の王国」1851と「パピヨン」1852の二つの作品(のみ)を世に出した。なんとロマンチックで美しい挿絵だろう。下のように原寸大で鑑賞するのもいいが、このように写真を拡大して細部を楽しむのもさらに楽しい。手書きの彩色がとても丁寧になされていることが分かる。

イメージ 4


挿絵頁だけをもう一度見てみよう。

イメージ 5

回って踊るのが、妖精たちのもっとも魅力的な仕事、云々という題がついている。

 この本を私が入手したのは1990年代後半だったと思う。電子テキストが現れはじめ、従来の紙の書籍はどうなってしまうのか、というメディア論的興味から、古い書籍の形式に関心を持ち始めた時期だ。だからそのころは、ヨーロッパの中世写本(一字一句、手書きで羊皮紙に書き付けられたもので、モノとしての書物の存在感はとんでもなくすごい)をはじめ、何十回も重ねて刷られて1頁が出来上がるようなアールデコ期の多色刷り版画(あるいはポショワール)本などに深い興味を覚えた。人間の労苦の詰まった書物が、一瞬にして複製可能で物質としての存在を持たない電子テキストと対比して、ものすごい魅力を放っていると思われた。
 そんな中で、フランス19世紀半ばの、グランヴィルやこのヴァランの書籍は、銅版画で刷られた絵に、一点一点、手で水彩の彩色を施す、というとんでもなくエネルギーが籠もったものたちだ。
 書誌情報は次の通り。
 Varin, Amedie
Les Papillons M?thamorphoses Terrestres des Peuples de l'Air.
Paris: Gabriel de Gonet(1852)
 hand coloured steel engraving & woodcuts.
275x185mm,232&258pp



イメージ 2

これは、上下二巻で、発行当時の未製本のまま、約170年前のものが私のところに伝来(笑)してきたもの。フランスのこうした本は未製本で発売され、買い手が好みに合わせて製本させることが通常だったと思われる。前回紹介したグランヴィル「花の幻想」の二冊もそれぞれ購入者が自分で製本させたはずである。

イメージ 3
下から「花の幻想」1847年版(赤)、1867年版(黒)、「パピヨン」未製本二冊


もうすこし頁をめくってみよう。

イメージ 6
これが表紙だが、右上表題の PAPILLONS (パピヨン)は、蝶の幼虫で形づくられていることが見て取れる。

イメージ 7

これは蝶々とトンボの婚礼の様子だと思われる。かなり怪奇な絵だが、部分を拡大してみると実に細かい銅版画と彩色である。

イメージ 8

こうやって簡単に拡大して細部を鑑賞できるのは、デジタル写真のおかげである。書籍の1頁をiphoneなどで簡単に撮影し、それを写真整理ソフトなどで、一部分にトリミングするだけ。それを通常の大きさで見れば、このような拡大図に簡単になってしまう。
二十年前に鑑賞したのとはまた異なる鑑賞の喜びが現代では可能となった。

 最後に魅力的な画像をいくつかあげておくことにしよう。

イメージ 9


イメージ 10

イメージ 11


イメージ 12




↑このページのトップヘ