KUROのブログ

黒崎政男〜趣味の備忘録

カテゴリ: 日記



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下から1867年再版本(黒)、1847年初版本(赤)、1993年日本語翻訳版



 先日、オークションで、Jean-Jacques Grandville “Les Fleurs Anim?es" (J. J. グランヴィル『花の幻想』)1867年再版本が出品されていたので落札した。これの初版(1847年 Gabriel de Gonet パリ フランス・全二巻合本)はすでに所有していたのだが、初版本と再版本では、どの程度レベルが異なるのだろうか、ということを知ってみたくて入手してみた。
 例えば、LPレコードの初期盤と後発盤では、通常、初期盤のほうが音がいい。音の鮮度がいい。空間感が潰れておらずに保たれている。ライブ感に溢れている。これが後発盤になると、みな劣ってしまうのである。レコードはプレス製造品なので、ちょうど浮世絵の初刷りと後刷り、書籍の初版と再版の違いと同様の構造を持っているのではないか。
 そう思って、初版は所有しているにもかかわらず、再版本との差を検討してみたくてこの「花の幻想」1867年版を入手したのである。

 19世紀から20世紀にかけてのフランス挿絵本の魅力的な世界は、荒俣宏が1980年代に先駆的に紹介してくれたおかげで、私も(彼のいくつかの書籍(『ブックス・ビューティフル~絵のある本の歴史』など)によって)この分野の魅力に開眼させられた。特にフランス、アールデコ期のバルビエやシュミドの多彩色版画の数々は圧倒的な魅力を放っている。そして、19世紀半ばの本として、まだカラーの印刷技術が未発達だったため、この本は、モノクロの銅版画に、水彩でひとつひとつ手で彩色していったもの。内容は、花を擬人化したロマン派のセンチメンタリズム満載のもので、どちらかといえば文章よりも絵を楽しむべき書物だ。

さて、この再版本の表紙を見てみよう。
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この本の挿絵は上下合計で全52葉が収められているが、すべては、一点一点、水彩で手書きして色を載せていったもの。(だから同版でも、同じものは存在していない)拡大してみよう。
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こまかく水彩で色が描き込まれていっている様子がわかる。言ってみれば、塗り絵のようなものだから、見ているだけで楽しくなる。しかし、初版をすでに見た眼からすると下地の銅版画の線がちょっとぼんやりしていてシャープさに欠けるように感じられる。色の塗り方もちょっと雑な感じである。



◆初版1847年のプリントと彩色

では、次に初版1847年版の同じ箇所を見てみよう。まずは1頁分。そして、部分拡大図である。

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初版 初頁


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初版本(1847年)の初頁拡大である。もう一度、下に再版本(1867年)を表示する。
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(再版本(1867年)の初頁拡大)

明らかに、初版本のほうが、すがすがしく、鮮明で、立体感があり(女性の身体も、手で巻いているamimeeという文字も)、右下の文字群もクリアで気持ちがいい。彩色も初版のほうが細かいところまで丁寧になされている。

このように、おなじ書物でも、初版と再版では、(基本的には通常)、あきらかに初版が質が高い。

続けて、この初版本をランダムに頁をめくってみよう。
サクラソウとマツユキソウの頁だ。
(マツユキソウは冷たい雪の中から力を尽くして咲き、友達のサクラソウを起こします。)
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なかなか清らかな筆のタッチだ。拡大しよう。

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◆おなじ箇所を再版本で見る

では、この箇所の刷りは、再版本1867年ではどうなっているだろうか。

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拡大してみよう。
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なんとも、初版のすがすがしい描きを見たあとでは、この再版は立体感も消失しているし、絵の具も派手で雑になっている、というしかないだろう。

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このような差を体感してしまうと、どうせ所有するなら初版本がいい、ということになってくる。その品質の差は明らかだからである。そしてここからが泥沼だ。このグランヴィルの初版はすばらしいが、では、もっとも最初の刷り、初版初刷りなら、もっと質が高いのではないか。もしグランヴィルの初版初刷りの版があったらどうしても入手したい。このような泥沼だ。

 そして、このような構造はLPレコードの初期盤問題にもぴったり当てはまる。初期盤のすばらしさを一度体験してしまうと、さらなる初期、ファーストスタンプ、ファーストプレス、の最初期盤を欲しくなってしまうのである。マーキュリー盤で1950年代後半のとてつもなくすばらしい録音のアンタル・ドラティ指揮「火の鳥」や、バイロン・ジャニス(p)のラフマニノフピアノ協奏曲3番などの、レコードはもっともその差が明らかになる、魅力的なレコードたちである。


最後に、ひなげしの頁を日本版、後発版、初版の順番でお見せしよう。この絵に関しては、それほどの差がなく感じられるかもしれない。いかがだろう。

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(日本版表紙)

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(再版)



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(初版)










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 久しぶりにモノラル専用装置を使って、LPモノラル盤をいくつか聞く。
LPレコードがステレオになるのは、1950年代の最後ぐらいから。50年代の録音はほぼモノラル録音だと言ってもいい。そしてモノラル盤は、通常のステレオ用カートリッジではなく、モノラル専用カートリッジを使用して再生するのが正しい、というか、いい音がする。
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 モノラルレコード専用装置は、レコードプレーヤー がEMT930st(+TND25(EMTモノラル用カートリッジ)+WE205Fプッシュプル アンプ(自作)+スピーカー タンノイ15インチ monitor silver(モノラル)。このスピーカーはもう絶対、モノラルでしか手に入らないだろうと思われる、EMG(英国蓄音機製作会社)が戦後に作った、EMG model DCR 15D speaker (Tannoy 15" Silver) 。1950年代半ばの製品である。

 まずはよく聞いているアートテイタムのピアノとベニー・カーターのアルトサックスのほぼDuo(ドラムスがルイス・ベルソンでほんとはトリオ)のような演奏。テイタムの転がるきらびやかな音のピアノが魅力的だが、ベニー・カーターのアルトサックスもとてもくつろいでいるがきわめて独特の音のアルトサックスだ。すばらしいモノラルレコードだ。

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次にかけてみるのが、スタンゲッツのテナー・サックス。オスカーピーターソントリオをバックにご機嫌に吹きまくるモノラル盤。アルトとテナーの差があるとはいえ、このスタン・ゲッツとさっきのベニー・カーターのサックスの音色がまったく違うのには驚く。この装置はちゃんと音色を描き分けてくれているということだろうか。このトリオは、ピアノ+ベースの他がドラムスでなく、ギターとなっている。ハーブ・エリスのギターがまたいい味を出している。

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最後に、1950年代の名録音。ブラームスのチェロソナタ一番を、フルニエのチェロとバックハウスのピアノで聞いてみよう。派手な録音ではないのだが、滋味溢れる音色の演奏で、自然と引き込まれて深々と聞き込んでしまうすばらしいレコードだ。
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じっくりと聞き込んでしまう、魅力に満ちたモノラル録音のレコードたちだ。

  CDとLPレコードの音はどちらが上か。。80年代CD登場時にやっていた比較を、今ごろ改めてやることになるとは。しかし、当時と比べて、CDもLPも再生音は格段によくなっている。板そのものも初期盤の音が両者とも優れているし、再生装置も、かたやLINN社から1970年代の発売以来、今日までずっと改良を重ねてきたLPプレーヤーLP12。LP再生には必須のRIAAイコライザーもデジタル化されてプレーヤーの内部に収まり(2018年 urika2)もう恍惚とするような再生音を奏でる。かたや、CDプレーヤーは、その読み出し部分だけを独立させて、心臓部にあたるDACは、LINN KLIMAX DSMのカタリスト部分を使用するというCDトランスポート(NUPRIME社)。30年前とはずいぶん状況が変わったわけだ。 
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だから、すぐには結論などでないし、まずは、CDの音を気楽に聴き始めようという気持ちになった。
 ランダムに聞いていて、なかなかよかったのが、1985年の録音、ダウランドの涙のパバーヌ。我が家のCD棚を探していて、これが西ドイツ製の初期盤CDだとわかったからかけてみたのだが、実に深々としみじみと鳴ってくれる。リュートとガンバの音は本当に落ち着く。



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裏面をみると分かるように、録音機材、エンジニア、その他詳しく書いてあって、入魂のCD録音だった、という感じだ。
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さらに、ランダムに聞きまくっていてよかったのが、晩年のバーンスタインウィーンフィルを振ったシューマンの交響曲第二番。これも西ドイツ製の初期盤CDだ。
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シューマンの音楽は、他の作曲家たちとはまったく違う<何か>があって、どうしても聞いてしまう。シューマンの交響曲全4曲も実に魅力的な音楽だ。
これもCDだが、なかなかの音がする。デジタルファイルに変換(吸い取って)聞くと、音は精緻になるが力感が失われる感じ。その点、CDの直聞きだと、エネルギー感が失われない。




 こんなことをしているうちに、妙な聞き比べがしたくなってきた。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」。これはLPレコード時代では、DECCA盤のショルテー指揮の演奏が演奏・録音が最高だ、と言われている。
 また、数年前に発売された、(作曲)当時楽器を使用して極めて鮮烈な演奏を聴かせてくれた新しいグザヴィエ=ロト指揮のCD。実に魅力的な演奏で、ここ何年かはデジタルファイルの形でよく聞いていた*。とどちらが魅力的に鳴るのだろうか、という本当に比較になっているのかどうか、分からないような聞き比べ。鮮烈なグザヴィエ=ロトの演奏の新鮮さを楽しむか、古い演奏だがやはりド迫力のショルティか。

 まずはグザヴィエ=ロトをCDで。
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(*昨年6月、グザヴィエ=ロトが来日して一日だけ東京オペラシティーで演奏会を開いた。この<春の祭典>とラヴェルの<ラヴァルス>など。偶然この演奏会を知ってなんとかチケットを入手して聞いた。「春の祭典」の演奏はすごかったが、とくにラヴェルの演奏が圧倒的すぎて心底演奏を堪能した。現代のとんでもない指揮者だ。)


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では、次は、ショルティの春祭。LPレコードで。


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なかなか、結論などでない。とはいいつつ、やはりLPレコードの音の魅力は圧倒的だ、とも思うのである。


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我が家のオーディオルームには、CDをかける装置がしばらく不在だった。CDはパソコンでリッピングしてデジタル・ファイルの形にしてからLINNのKlimax DSMで再生する形が常態になっていて、CDを直で聞く、という形態はしばらくやめていた。
 過日、季刊誌 STEREO SOUND(2019winter No.209)に「オーディオファイル訪問記」として拙宅のオーディオ装置が紹介されたのだが、その取材のおり、オーディオ界の大御所、柳沢功力氏から、なんでCD再生装置がないのだ、といぶかしがられた。

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(季刊誌 STEREO SOUND  2019Winter p282~289)

 そんなこともあったし、直にCDをかけたいこともあるし、で、ついこの間、CDが直接かかるプレーヤーを入手した。プレーヤーといっても、トランスポーター。DACの部分が省略されている、読み取り装置だけのような形。これをデジタルのまま、Klimax DSMに送ってそのKlimaxのDACを使用するのだから、通常のCDプレーヤーよりは格段に音がいいことが予想される。機種はNUPRIMEの CDT-8 Pro。

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さて、どんなCDソフトをかけてみようか。そういえば、CDも同じ録音でも、初期盤、後発盤、リマスタリング盤と、いろいろ音質が違うことが予想される。
 ちょっと調べてみると、CDもなんとやはり最初期盤が音がもっともいい、と言っている人たちがいる。それによれば、CDが始まったころ、西ドイツのHanover工場で作られたCD盤が実に自然でいい音がする、というのである。まるでLPレコードの初期盤の世界と同様の構造だ。この真偽はおいおい確かめていくことにするとしても、とにかくまずは西ドイツ製のCDを(自分のCDラックから)探し当ててかけてみることにする。
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そこで行き当たったのが、ブレンデルのピアノでバッハ作品集。実にいい音で鳴る。CDも捨てたもんじゃあない。


じゃあ、最近のCDはどうだろう。ジャズで女性ボーカル、キャロル・キッドのCDをかけてみよう。



このようにCDを直でかけて鳴らす音質と、CDをリッピングしてDSで再生する音質にはずいぶん違いがあるように思える。以前は、リッピングしたほうがいい音がすると思えていたが、今回の装置では、なかなかそう単純ではないようにも思われる。リッピングの音は精緻であるが、エネルギー感という点ではCDのほうが勝っているようにも思われる。これはまだファーストインプレッションだ。
ついでに、CDとLPレコードの音も比較してみちゃおう。


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ちょうど、アルゲリッチのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番が、西ドイツ製初期盤CDと、同演奏のLPレコード(オランダ・プレス、ほぼ初期盤と言えるLP)が手に入った。ほんとにラフにちょっとかけで、それぞれ鳴らしてみよう。最終楽章の一部分。まずはCD.
次はLPレコードでほぼ同様の箇所。

さあ、どうだろう。性急な結論は出さないこととしよう。CDもなかなかの音で鳴っていると思われる。ただ、フォルテシモになったとき、および、弦楽器の音色と奥深さに関してはやはりLPレコード再生のほうがいいようにも感じる。
さあ、またいろいろ試してみよう。






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シャンソンといえば、戦前のボワイエ「聞かせてよ、愛の言葉を」やリナ・ケッティ「待つわ」などをはじめ、味わい深い曲で溢れている。戦後でもイヴェット・ジローやコラ・ヴォケール、イヴ・モンタンなど、音楽がアメリカナイズされて<フレンチポップス>となってしまう以前のフランス音楽は、実に魅力的だ。
 そのなかでも、バルバラ(Barbara 1930~1997)のシャンソンは、その独特の声もあって、きわめて独自の魅力に満ちている。
 私がバルバラのレコードをよく聴いていたのは、大学院生のころだから1980年前後のことになる。
 今回、銀座のsound create というオーディオ・ショップで、宗教学者の島田裕巳氏と続けている「オーディオ哲学宗教談義」のために、何曲かLPレコードを選ばなければならなくなった。かつての自分が夢中で聴いていたレコード、ということで思いついたのが、このバルバラ。曲はなんといっても「ナント(に雨が降る)」Il pleut sur Nantes。
 当時は、バルバラの「バルバラ・私自身のためのシャンソン」と邦題がついたBarbara chante Barbaraというアルバム全体を聴いていた。日本盤ではA面1曲目(フランス盤では、B面1曲目。他の曲の配置もまったく異なる)にある「ナントに雨が降る」。この曲の異様な暗さと深さに感心させられて、深く印象に残った。その当時は、なにか、戦争で亡くなった人を悼む曲なのかなあ、と勝手に思っていた。

 その歌詞を簡単に挙げてみる。

ナントに雨が降る
ナントの空は私の心を嘆きに閉ざす
・・・・・
「いまわの際に、彼は一目会いたいと願っているのです。」
・・・・・
彼は死ぬ前に 私の微笑みであたためて貰いたがっていた。
だがその夜に彼は亡くなった。
一言の「さよなら」も「愛している」もなく
ああ、わが主よ (Mon Pere, mon Pere)
・・・・・


いま当時の対訳(レコードのパンフレット)を見てみると、「父」と訳すべきところを「主」と訳してあった。(なるほど!いま分かったのだが)そうすると、この歌には、一切、父が出てこないことになる。「ああ我が主よ!」ではなにがなんだか分からない。

歌詞の内容は、

ずっと会っていなかった父がいまわの際で私に会いたがっていた。私はナントに駆けつけたが一足遅く。彼は私に最期に微笑んでもらいたかった。しかしそれはかなわなかった。ナントに雨が降る

ということだ。
この現実の、都市ナントには、この曲のために「バルバラ通り」が作られ、また歌詞に出てくる架空のグランジュ・オー・ルー通りも、1986年に実際の通りに命名された。ネット上の情報を見ると、当時、バルバラは公演の宣伝を一切行わない。にもかかわらず発売直後にチケットが完売する現象は「神話」と呼ばれ、また、制作・発表した作品群はフランス国民のみならず様々な国の聴き手に感銘を与え、現在も圧倒的な支持と評価を受け続けている、ということだ。

 数年前のことだが、私はバルバラの遺作『一台の黒いピアノ』に書かれていた極めて衝撃的な事実を知って、唖然とした。ブックDataベースから内容を引用しておこう。
シャンソンの女王、バルバラは、ユダヤ人として生まれ、ナチス占領下のフランス各地を逃げまどい、放浪し、苦難のなかからシャンソン歌手として成功する。
その波乱の人生をはじめて綴った本書、未完の自伝が人びとに強い衝撃を与えたのは、父親による「インセスト=近親相姦」の思い出が語られたことだった。
「タルプでの一夜、わたしの全世界が恐怖の地獄に転落した」「父に対して、わたしは強い恐怖心を抱いていた。…夜、大きな扉が音を立てて閉じ、中庭の敷石の上を歩いてくる父の足音が響いてくると、わたしは怖くてベッドの中で震えが止まらなかった」一台の黒いピアノとともに生きたバルバラの生涯…。

この近親相姦の事実を知ってからは、「ナントに雨が降る」の意味が深く変わった。このとんでもない名曲の根底には、まったく語られなかった深い闇が横たわっていた。我々聴く者に名状しがたい情動を呼び起こす曲の最深部である。





再生装置はいつものように、LINN LP12(urika2) +Klimax DSM/2 +自作WE205Fアンプ+タンノイIIILZ

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 今回、e-Bayでフランスオリジナル盤を入手して、そちらのレコードを再生している。日本盤でも、十分バルバラの魅力は味わうことができるので大丈夫だ。ただオリジナル盤は、音像にぼやけがなくて、しっかりと力強い。
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ちなみに日本盤のジャケットもあげておこう。オリジナルの表面と裏面を合わせて一つにしたようなデザインで、輸入元の心意気が感じられる。
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