KUROのブログ

黒崎政男〜趣味の備忘録

タグ:ブルックナー

ブルックナー9スコア
(ブルックナー交響曲第九番第一楽章の自筆譜 巨大な音の集合体)


無伴奏と大編成

 

 

私は若いころから、長い間、最高の音楽、もっとも精神性の高い音楽は<無伴奏>だと考えていた。もちろん念頭にあるのは、J.S.バッハの「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ」(BWV1001~1006)や「無伴奏チェロ組曲」(BwV1007~BWV1012)であることは間違いない。しかし、なにもバッハだけに限るわけではない。たとえば、普通はなんとなく気楽な曲でみちているテレマンでも、彼の「無伴奏フルートのための12の幻想曲」の崇高性や孤高性はどうだ。あるいは、C.P.Eバッハの「無伴奏フルートソナタイ短調」だとてその幽玄な精神性はなんともすばらしい。

へリンク・シェリングの演奏するバッハの無伴奏バイオリン(グラモフォン、ステレオ盤、1967年)は、それを聞いていると、極めて実存的な気持ちになった。
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私がこうやってここに存在していることの深淵のようなものを抉ってくるような極めて精神的な演奏だった。それは1人の人間が孤高に向かって語る無伴奏だからこそ、と感じていた。演奏は、私からすれば、デュオ、トリオ、カルテットと編成が大きくなればなるほど精神性は薄らいでいく。その頃はこう固く信じていた。

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ところが還暦をすぎたころから、無伴奏とは正反対の、大編成オケの音楽がとても魅力的に感じるようになってきた。例えば、後期ロマン派アントン・ブルックナーの交響曲。その編成の巨大さは、無伴奏のソロ楽器とは対極にある。例えばブルックナー最後の交響曲第九番では、楽器編成はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、トランペット、トロンボーンが各3本。ホルン8本、バスチューバ1本、ティンパニ1台、弦楽5部。音は超多彩で超分厚い。楽譜をみれば1ページに6小節しか書けないほど、巨大な音の集合体である。五線譜が25段もある。これが同時に鳴る。巨大なカトリック聖堂に飾られている多くの彫刻の聖者たちが一斉に声をあげてくる感じだ。作曲者自身、どんな音の重なりになっているのか、この楽譜でどのぐらい想像できているのだろうか。指揮者はこの楽譜を見て、どのぐらい具体的に音を想像できるのだろうか。1ページに一曲が書かれてしまう無伴奏とはまったく別の世界である。
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ブルックナーの交響曲第九番を聞いていると、――だいたいは1960年代の名演(オイゲン・ヨッフムやカール・シューリヒト指揮)を当時のLPレコード(初期盤)で聞くのだがーーいや、聞いているというよりは体験しているという感じで、喩えていえば、なにか宗教的儀式のなかに包まれているという体感。きわめて崇高だが深く癒やしてくるような音の洪水。「無伴奏」にあった「精神性」というよりは、むしろ、「魂が浄化される」といった趣である。約60分の法悦の時間があっという間にすぎていく。

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ブルックナーの魅力にとりつかれるようになったきっかけは、しかしながら、精神性や宗教性とかいった問題ではなくて、実はオーディオ・チェック・レコードとして、とにかく巨大編成オーケストラのものを選んだだけ、というきわめて即物的なものにすぎなかった。

 オーディオという趣味は、LPレコードをいかにいい音で鳴らすかという1970年代から80年代にかけて大ブームとなったものだ。当時、多くの家で男子は巨大スピーカーや多くのアンプを並べて「いい音」を出すことに苦心していた。その後、気楽にまあまあの音がするCDipodで聞けるデジタル・ファイル音源などが登場してきて、オーディオブームは大きく下火となった。

だが、実はオーディオ装置は今日にいたるまで、着々と進化を遂げてきているのである。昨今のアナログ盤ブームは、単に昭和へのノスタルジーとしてレコードを聴く、というだけにとどまらず、LPレコードが実にすばらしい音でなるようになって来ていることも要因のひとつだ。当時は無伴奏のレコードは比較的いい音で鳴ったが、大編成オーケストラは、音が団子の固まりになって、ごろんとなるだけ。なんの魅力も感じようがなかったのかもしれない。しかし最新の進化したオーディオ装置でそのLPレコードを聴けば、従来なら分離せず固まりになっていたのがクリアに文節化する。私のLPプレーヤーのトーンアームやカートリッジや回転系モーターのグレードが上がるたびに、編成の大きな音楽が魅力的になるようになった。例えば、オーケストラ内でクラリネットとファゴットのデュオもそれぞれの音色が心地よく聞こえる。全楽器でフォルテシモのフィナーレも音が割れることもなく、きわめて心地よく音楽が鳴り響きわたる。LPレコードからここまでのいい音を引き出したのは、21世紀の我々なのではないだろうか。かつては決してこんないい音は誰も聞けなかったろう。そして、LPレコードの一本の溝(グルーブ)に、まだまだ無限の宝が眠っているようにさえ感じる。
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こんなわけで、無伴奏曲や巨大編成オケ曲にどう魅力を感じるのかは、実はオーディオ装置のクオリティの問題に帰着するのかもしれない。<精神性>から<魂の浄化>への変化は、おそらく<装置>という下部構造に規定されていたのかもしれない。

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鶴田留美子ピアノリサイタル。昨年から、ピアノ協奏曲のオーケストラ部分を室内楽編成にした版を使用して、コンチェルトまでレパートリーを広げる、という手品のようなアイデア。昨年はこのおかげでショパンのピアノ協奏曲2番をサントリーホール・ブルームローズで堪能することができた。今年はそして、なんとモーツアルトの名曲中の名曲、ピアノ協奏曲20番二短調K466だ。なんというど真ん中。27曲あるモーツアルトのピアノ協奏曲のなかでもこの二短調はひときわ最高峰。今日はとても楽しみだ。

 それにしても、オーケストラ大編成と室内楽編成のこの差、オーディオ装置だったら、どういう装置でどう聞くのか、大問題となるのだろうが、ライブだとこの問題は一切生じてこないように思う。なぜだ、なぜなのか。生と録音再生の間にはどんな差があるのだろうか。こんなことを考えながら、今日は鶴田留美子のショパンとモーツアルトを堪能することにしよう。
(この文章は、鶴田留美子ピアノリサイタル'21(サントリーホール9/11)のパンフレットに寄稿したものである)

20211024_無伴奏と大編成
鶴田留美子パンフレット表
 


 

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先日は、チェリ・ブル8をLP12(urika2) + KlimaxDSM + EXZAKT520というオールLINN装置で聞いたが、今日は、タンノイIIILZ+RCA250真空管アンプというヴィンテージ装置に戻して、聞き返してみる。そうこうしているうちに、旧東ドイツETERNA盤のブルックナーに移行し、結局、ブルックナー三昧の夜となった。

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左が2019年リマスタリング盤LP(三枚組) 右が2015旧盤(二枚組)
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Altus 2019年 チェリビダッケ ブルックナー8番 二楽章 新LP盤




Altus 2015年 チェリビダッケ ブルックナー8番 二楽章 旧LP盤



このように比較してみると、明らかに新LP盤(2019)の方が、充実した音がする。ff(フォルテシモ)もうるさくないし、ppでも緊張が途切れない。ffではティンパニーも弦も管もそれぞれ固まらずに心地よく鳴っている。
これに比べると、旧LP盤(2015)は派手で、ff(フォルテシモ)はうるさく、音が薄っぺらい。ffでは全体像が崩れるし、ppの静謐感がでてこない。
もちろんこんな感想は、2019年盤(新マスタリング、新カッティング)が出たからこういうのであって、2015年盤だけしかなかった昨日までは、こんなことは思ってもみなかった。比較する、というのはとても残酷な行為でもあるわけだ。


そうこうしているうちに、なにやら、旧東ドイツEterna盤が聞きたくなってきた。1990年ライブの2019年最新LP盤を聞いているうちに、いったい、1970年代のEterna盤と2019年盤の比較(といっても厳密な意味では、演奏家もオケもホールもまったく違うのだから)をしてみたらどうだろう、と思いついたわけである。
ブルックナー8番二楽章だけは合わせておこう。


オイゲン・ヨッフム指揮ドレスデンSKブルックナー第八番 第二楽章

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チェリ盤とくらべるとずいぶん音の鳴り方は違うのだが、ヨッフムのこれはこれでとても充実している。気持ちよくなってきた。

というわけで、Eterna盤ブルックナー三昧が始まってしまった。

ここでは、クルト・マズア指揮でライプチッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、1975年録音、録音技師クラウス・シュトリューベン、でブルックナーの9番の第一楽章を聞いてみよう。


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なんと充実した、いい演奏だろう。クルト・マズアのEterna盤ブルックナーは実にいい。このジャケットをみるかぎり、録音会場がドレスデンの聖ルカ教会なのか、あるいは、ライプチッヒで録音したのかは不明だが、とにかくいい。
クルト・マズアの後期ブルックナー交響曲をe-bayなどで探してみよう!







 

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<演奏を録音する><オーディオで再生可能なようにメディア化して世にリリースする>
これらは何やら無色透明な作業のように思われて、実は<録音>や<メディア化>の作業こそ<演奏の表現>に決定的な影響を与えているのではないか。

・・これが目下のところの私の大きな関心事だ。

 例えば、1970年代に同一の演奏を、西欧EMI社と東ドイツSchallplattenn 社が共同作業の録音の上、それぞれがEMI盤とETERNA盤で発売する。同一演奏なのに、まったく音が違うことは以前述べた通りである。ある音楽評論家の言葉をふたたび借りれば「このヨッフム・ブルックナー全集はEMI盤でも手には入るのだが、伝統あるドレスデン・シュターツカペレの古雅のサウンドは、旧東独エテルナ盤によってしか伝わらない、というのが、レコード蒐集家の共通した認識である」(福島章恭氏)ということだ。 

こんなことをいろいろ実験していたのだが、とても興味深い新譜のLPレコード の存在に気がついた。

「新リマスター・新カッティングで生まれ変わる来日公演。常軌を逸した神秘の名演、非日常の時間感覚がもたらす究極の美」

と帯にある。えっと?思った。チェリ・ブル8の1990年ライブのレコードは2015年にAltus(キングインターナショナル)から二枚組で発売されている。私の愛聴盤だ。
同一の演奏が、同じAltus(キングインターナショナル)から、また発売されたのか。しかも今度は三枚組になっている。たった四年で同じ演奏のLPレコードがまったく形態を変えて発売される。
2015年LP(2枚組)だって定価13,600円。今度のLP(3枚組)は、定価19,800円もする。なんということだ。
再発売されることも値段も、まさに「常軌を逸している」と思った。こんな高価では数も売れるわけがないし当然赤字ではないのか。採算は度外視しているのか。Altusかキングインターナショナルの<心意気>なのか<信念>なのか。

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さっそく、新リマスター盤を聞いてみることにする。
違う!まったく違う!同一の演奏とは思えないほど違う!


■旧LPは、ザードロの<ティンパニー協奏曲>、新LPでは<チェリビダッケのブルックナー>に聞こえる

では鳴らしてみよう。まずは

旧LP盤(2015) 一楽章冒頭





次に

新LP盤(2019)  同じく一楽章冒頭



旧LP(2015)は、やはり聞き慣れた音がする。だが、新LP(2019)と比較してみると、音が派手で中高域がうるさい。弦の音の線が細く、高域と低域が強調されている。弦の音もやや痩せている。これに対して、新盤(2019)は、音がじっくり、しっとりして重厚な音だ。とても充実した音がして痩せていない。そして全体がバラバラではなく、一つの有機体のように聞こえる。とてもnaturalだ。ちょうど、旧盤と新盤の差は、西独EMI盤と東独Eterna盤の差に対応しているように感じられる。
そして、旧盤の一番の特徴は、名ティンパティスト、ザードロの音が強調されて入っている。他で残されているDVDの映像もザードロが中心的に映っていて、このブルックナー8番はまるでティンパニー協奏曲であるかに聞こえる。もちろん、ザードロのティンパニーはあまりに魅力的でこれはこれで魅力的なのではあったが、この新LP盤(2019)はちゃんとチェリビダッケのブルックナーが聴ける、という感じである。



■新LP盤(2019)では、静謐感、緊張感が増していて、音楽に愛情がこもっているように聞こえる

次に
旧LP盤 四楽章冒頭



次に
新LP盤 同じく四楽章冒頭



新(2019)盤では、静謐感がただよい、緊張感も深い。概して、音楽に親密であり愛情がこもった演奏に聞こえる。木管の響きも金管の響きもそれぞれが見事なアンサンブルをなしている。第2バイオリンやヴィオラなどの内声部の弦が実に魅力的になっていて、うっとりさせる。これに比較してしまうと、旧盤(2015)たうるさく、外面的で多少暴力的にきこえてしまう。



2015盤と2019年盤の違いは、いったい何なのだろうか。
ライナーノートの後付をみてみると、次のようだ。

旧LP(2015)二枚組
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これに対して新LP盤(2019)は
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つまり、新盤では、他は同じなのだが次の記述

mastering   :  Takao Suga, Asuka Nishimoto
Cutting Engineer  : Kazumi Tezuka

が新しく書き加えられている。
SugaとNishimotoが新たにリマスタリングし、さらにTezukaが新規にカッティングをした、というわけだ。


■60年代などの古い録音のリマスタリングは好きではないが、この1990年録音のリマスタリングは実に魅力的なものだ。

私は、レコードは初期盤が好きで、後発盤やリマスタリング盤は、かならず音質が劣化する、と考えている。何十年も経過して劣化したオリジナルマスターテープを使ったリマスタリング盤は恣意的、作為的な操作が感じられて好きではない。だが、1990年に録音されたもののリマスタリングは、もしかしたら、これまでとは意味が異なるのかもしれない。
 なにか、初期盤とリマスタリング盤の関係について、あらたな視点を得たような気がする。


なお、本日の再生装置は、すべてLINNで、LP12(urika2) + Klimax DSM + EXZAKT speaker 520 という陣容である。

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今日は、LINN スピーカーEXZAKT520と、tannoy IIILZの聞き比べをしようと思って、レコードを聴き始めたのだが、タンノイ用の真空管アンプに火をいれる前に、チェリビダッケ、リマスタリング問題に入り込んでしまった。タンノイのスピーカーでなら、また少し違った結果が出たかもしれない。

LINN EXZAKT520は、衣替えをして、以前のブルーの布から、ハリスツイードを100%使った衣装に替えた。LINNは英国スコットランドの会社だが、地元の有名な生地を使用しているのは、LINNという会社の地元愛が感じられて、なにかうれしい。






 

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音色が派手でそれぞれのパートがソロ的に浮き出すように作ってあるがバラバラに定位する。厚化粧的でff(フォルテシモ)はうるさい西ドイツEMI盤。
渋いが自然な音色でffでも誇張がなく弦と金管の音色が実に美しく有機的に各パートが響き合う。化学調味料無添加のようなナチュラルな東ドイツETERNA盤。

これがほぼ一週間、ヨッフム指揮ドレスデンSKのブルックナーを聴き続けて得た私の感想である。

 同じ音源(同一録音)なのに、レコード盤に仕上がった段階でこれほどに音楽の差がでてしまうとは。この差は一体何の差なのだろうか。1970年代の西ドイツと東ドイツとの思想の差か、経済力の差か、はたまた資本主義と社会主義の差か。

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■東ドイツのレーベルETERNA盤を知る

 サイモン・ラトル指揮のダイレクト・カッティング盤LPレコード(2014年ベルリンフィル・ライブ)の音質はいかばかりか、という問いから始まったLPレコード音質探索。
 ブラームスの交響曲第一番のLPレコードばかりを集めて楽しんでいたが、そのなかでルドルフ・ケンペの演奏が妙に気に入って、ケンペという指揮者に注目していろいろ聞いていた。その中に、ブルックナー交響曲8番もあって聞いていたのだが、次のような問いが頭をもたげてきた。

「私は、3年前からのLPアナログ盤復活した。LINNのLP12というプレーヤーを入手して、はじめてブルックナーの交響曲の素晴らしさがわかり、60を過ぎてから遅咲きのブルックナー・フリークになってしまった。だが、ブルックナー8番は、私にとってのベスト盤はいったいどれだったか。クナーパーツブッシュ(ミュンヘンフィル)盤、チェリビダッケ(ミュンヘンフィル1990)盤、ヨッフム(ベルリンフィル1964)盤、ヴァント(北ドイツ)盤?」

そんなこともあって、お茶の水中古店にたまたまあった、8番ヨッフム指揮ドレスデンシュターツカペレ1976年の英国EMI盤を買って聞いてみた。結構いける!そうとういい!
というのも、かつて、これの東芝EMI盤を購入してきいたが、あまりの音の悪さ(音がこもりっぱなし、楽器の定位が無意味にバラバラ)にあきれてしまい、ヨッフム指揮のブルックナーは1960年代ベルリンフィルのドイツ・グラモフォン盤に極まれり、とずっと思ってきたからだ。

 そうこうしているうちに、ヤフオクに「同一録音だが、東ドイツETERNA盤は西欧EMI盤とは音作りが根本的に異なる」という意味深なコメント付きでヨッフム指揮ドレスデンのブルックナー第四番が出品されていた。興味を覚えて、落札入手してみた。

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なんとすばらしい演奏、なんとすばらしい響き!
このレコードを一聴して自然で重厚な響きに魅入られてしまった。E-bayなども視野に入れれば比較的簡単に入手可能。中古レコード店では、ETERNA盤はそれほど高値がつけられているわけでもなく、結構簡単に集まることができた。

■同一音源なのに、西欧EMI盤と東ドイツETERNA盤の二種がある不思議


いったいどうして二枚のオリジナル盤があるのか。
それはエテルナ盤のジャケット裏面を見ると分かる。
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シュタツカペレ・ドレスデン演奏
指揮 オイゲン ヨッフム
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録音技師 クラウス シュトリューベン(東ドイツの実に名録音技師らしい)

1976年にEMI社(英国ロンドン)との共同作業(Zusammenarbeit)で
ドレスデンにある聖ルカ教会のスタジオにて収録
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とある。つまり、東ドイツのドイツ・シャルプラッテン社(そのクラシック部門のレーベルがETERNA)と英国のEMI社が1976年に共同作業をして、録音技師シュトリューベンが録音した、ということだと思う。

 ほぼドイツ敗戦からベルリンの壁崩壊まで続いたドイツ分裂での、東ドイツの音楽事情と、ドレスデン・シュターツカペレについては、今回非常に興味を持ってしまったので、次の二つの資料を入手して調べた。DVD「冷戦とクラシック音楽〜東ドイツの音楽家たち」と、この楽団の書籍「楽団史」であり、かなり悲惨な事情が理解できた。
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これらの資料によれば、「ドイッチェ・シャルプラッテン」社は、東ドイツにおける音楽録音の独占権を国家から与えられていた国営企業体(VEB)で、そのクラシック専門部門が「エテルナETERNA」ということだ。東ドイツには、つまりレコード会社はたった一社しかなかったということになる。
「シュターツカペレが根本的なところで芸術面の質を損なうことなく、社会主義国家の命じた孤立の歳月を乗り切れたのも、レコードによる側面が決定的に大きかった」(142頁)ということだ。東ドイツのオケが1970年代にすばらしい水準にあった点の議論はまたの機会とする。(だんだん論文調になってきてしまった。。)

さて。

■ETERNA盤はEMI盤と比べて質が高いように思われる

この差は、この文章の冒頭に挙げておいた通りである。
(レコード再生の音を、さらに録音して動画で再生して聞く、という根本的アポリアはこの際置いておく。うまく伝わるだろうか)


◎ヨッフム指揮ドレスデンSKブルックナー第四番を
東独ETERNA盤で聞く





◎同一録音を西独EMI盤で聞く。




うーん、しかし、客観的な形で「エテルナ盤のほうがEMI盤より音がいい」などと言っていいのだろうか。これは私の再生装置(アンプの音質やスピーカーの特性など)の問題と深く絡むのではないだろうか。Aという装置で掛ければETERNA盤がよいが、Bという装置で掛ければEMI盤がよいかもしれない。。おそらくラジカセのような装置で聞いたならば、ETERNA盤はめりはりがなく地味で面白くない、EMI盤のほうがすばらしい、ということにもなりそうだ。

 ということは、すべては相対的であり、絶対的な「いい盤」など、虚妄にすぎないのではないか、ということになるのか。私の装置ではエテルナ盤がいい、というだけにすぎないのか。
 こうやって、相対主義のたこつぼにハマって二三日をすごした。
・・・でもいいではないか。私の装置では、エテルナ盤は深い悦びを与えてくれるのだから。それでいいではないか。


■エテルナ盤こそ人類の宝、がレコード収集家の共通の認識!?


そうこうして、ネット検索をしていると、ある音楽評論家のブログでこのヨッフムのブルックナーについての記述を見つけた。とても興味深い記述だったので、そのまま引用してみる。

「今朝、ベルリンより届いた第4番「ロマンティック」をもって旧東独エテルナのアナログ盤によるヨッフム&シュターツカペレ・ドレスデンのブルックナー交響曲全集がようやくコンプリートとなった。この全集を揃えようと思い立ってから10年を超すのだから、長い道のりであった。蒐集業というのはつくづく根気が必要だ。この全集はEMI盤でも手には入るのだが、伝統あるドレスデン・シュターツカペレの古雅のサウンドは、旧東独エテルナ盤によってしか伝わらない、というのが、レコード蒐集家の共通した認識であり、ケンペ指揮のリヒャルト・シュトラウス管弦楽曲全集とともに、人類の宝とも言える存在なのだ。 」(2015年1月の記事、福島章恭氏のブログより) 

そうなのか。。 
旧東独エテルナ盤によってしか、伝統あるドレスデン・シュターツカペレの古雅のサウンドは伝わらない、のか。氏の記述を参考にさせてもらうなら、LPレコード歴3年にして(昔の経歴はノーカウントとして)、レコード収集家の共通の認識に達したことをうれしく思った。


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ETERNA盤とEMI盤はともにこの演奏のオリジナル盤、ということが出来る。オリジナル盤が二つある、というのもなかなか珍しいことだとは思うが、これら(特にEMIのほう)を各国でそれぞれプレスして発売する。さらに、リマスタリングされて再版、後盤がいろいろ出される。さらには、CD用にリマスタリングされてどんどん音が変化(劣化?)しながら 「ヨッフム指揮ドレスデン管弦楽団のブルックナー」
がさまざまな多様に音作りされて拡散していく。
うーん。いったい、どういうことになるのだろう。
 少なくとも、私が3年前、日本盤LP(東芝EMI)で聞いて、なんてひどい音だひどい演奏だ、とすぐこの「ブルックナー全集」を廃棄処分してしまったのだが、今回このエテルナ盤に出会わなければ、一生、ドレスデン=ヨッフムのブルックナーは最悪、と思い続けていたことになる。

 音楽の「物自体」は存在するのか、それとも、すべては「現象」でしかないのか。




最後にブルックナー8番をEMI盤とETERNA盤と聞き比べて終わることにしよう。

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東ドイツETERNA盤、英国EMI盤、ドイツEMI盤の三種類



西ドイツEMI盤
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 EMIは不自然な低音のブーミーな強調。楽器が分離しているのはいいのだが、それがバラバラに空中に浮いている感じで、自然な音色の統一が欠けている。派手な高域とブーミーな低域。弦の音色もうっとりするというよりはやかましい。



東ドイツETERNA盤
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Eterna盤は音に厚みがあって重厚だが実に自然。妙な分離よりも統一的な音の鳴り。

やや乱暴だが、いい音の順では次のようになる。

ETERNA盤 >英国EMI盤 >独EMI盤 >東芝EMI盤 

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