KUROのブログ

黒崎政男〜趣味の備忘録

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 先日、長い友人でヴァイオリンなどの弦楽器調整や弓を制作するK氏に、私の愛用の楽器ヴィオラ・ダ・ガンバ(17世紀 イタリアブレシア制作)にエンドピンを制作してもらった。

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ヴィオラ・ダ・ガンバにエンドピン!?

とんでもなく邪道に思われる。

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通常はこの古い絵のように、脚の間に挟んで弾くモノなのである。だからこそ、da gamba (脚の)なのである。


通常は膝に挟んで弾くものなのだが、弾いているとだんだん脚が辛くなってくる。脚の長さも影響しているかもしれないが、プロのガンバ奏者でも台の上に載せて弾いている人もいることを私は目撃したことがある。
関連する画像の詳細をご覧ください。Category:Henriette of France playing the Viola da Gamba (Jean-Marc ...
この有名なフランス18世紀の絵では、ガンバを床に付けているのか挟んでいるのか不明な感じだ。

だが、さらに古い絵画などを探してみると、ヴィオラダガンバを台の上において演奏している図もあるではないか。


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■きっかけはチェロのエンドピンを木製にしたこと

きっかけはこうだ。K氏はチェロのエンドピンは、金属製の通常のものをやめて、いい素材の木製にすると、音がキンキンせずに、深い柔らかい音がするようになるという。K氏は本来チェリストなのでチェロのことはよく知っている。それに氏の細工は実に見事で、モノとしての素晴らしさに惚れ惚れしてしまう。彼が作り上げた木製エンドピンを、私のチェロに取り付けてもらった。

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エンドピンを木製に変えてもらった私のチェロ。深く柔らかい音になった。

チェロのエンドピンを金属製から木製にK氏に変えてもらったこの時に、私はついこう言った。
「ガンバにもエンドピンあったらなあ」
作れるよ。いやだったら、抜いて外せば元通りだよ。という言葉にさっそく依頼してしまったのである。

約半年後、彼の工房で作り上げたエンドピンが我が家に到着する。

さあ、付けるよ、電動ドリルとかない?とK氏が私に訊ねる。あるけど・・




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結構、野蛮な作業をするのだなあ、と感心。私の真空管アンプ制作のときに使用する電動ドリル登場。細心の繊細さと無骨な野蛮さが同居するこの瞬間を、呆然とみていた私だった。

















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全高12cm ミャンマー 小仏像 17世紀

小金銅仏など、私は長年にわたって集めた。だが、本当にこれが唐時代のものだろうか、とか猜疑心がいつも消えず、結局、多くの小仏像は拙宅の秘蔵扱いとなって、戸棚の中にしまい込まれた。そしてついにはその猜疑心に耐えかねず(笑)、ほとんど全部を骨董屋さんに引き取ってもらった。
  そのなじみの骨董屋さんが、「ほらきっとお好みだよ」と出してきたのがこのミャンマー小仏像1600年代。「もう小仏は懲りてるからもういいよう」というと、大丈夫だよ、これは。間違いなくミャンマーの古い仏像、といって膨大な「東南アジアの仏教美術」の資料を見せてくれる。古代のものではなく近世の時代だし、この時代のものはニセモノも作られていないだろう、と考え、結局もらうことに。お代は、その日設定されていた飲み会の店主分は私が持つ、というということで一件落着。なんかお互いほくほくだった。
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二年前に処分した、我が家秘蔵だった(偽?)金銅仏たち。






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直径約15cm 伊万里 古九谷様式 1650年前後

 使われている呉須(顔料コバルト)がとてもいい感じで、深い発色になっている。回りの花から草の筆がとても見事でうれしくなる。中央はあじさいの花だろうか、めずらしい。これが江戸時代の初期のもの(有田地方で焼かれた古九谷様式)で20年前は伊万里大ブームでとても高価だった。いまでは現代作家ものより遙かに安価で入手できる。うれしい。食事の取り皿にちょうどいい大きさである。
 


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1902年製造の最初期SPレコード(G&T盤)ミラノ、E.カルーソー歌唱「ゲルマニア」

今年は、黎明期のレコード録音技師フレッド・ガイスバーグ(187311 - 195192)の生誕150年にあたる。蓄音機がおもちゃ(toy)のような存在から、音楽再生装置(instrument)へと変化したのは、録音技師ガイスバーグが、ミラノで、当時売り出し中のテノール歌手、エンリコ・カルーソーの歌を20枚ほど吹き込んだ1902(明治35)年と考えられる。このカルーソーのレコード登場によって、人類史上初めて、本格的な音楽が、世界中どこでもいつでも聴けるようになったのである。

エジソンによって蓄音機が発明されたのは1877年だが、その時に使われたのは、円筒形の金属に錫箔を巻き付けたものであり、音の出るおもちゃのようなものだった。だが1887年に円盤式レコードが発明されることにより、蓄音機は本格的なものとなっていく。

この円盤レコードのために、世界各地を回って、世界中の音楽を膨大に録音し続けたSPレコード(78rpm)の立役者がガイスバーグだ。我が国日本にも1903(明治36)年に訪れて、築地のホテルで、雅楽、能、狂言、常磐津、義太夫、長唄、清元、落語など300種類にも及ぶレコードを録音し、すべてG&T社から発売した。(ちなみにLPレコード時代の名プロデューサ、ワルター・レッグはこのガイスバーグの部下である)。ガイスバーグはまさにオーディオの歴史の立役者なのである。

 さてこうなると、カルーソーの1902年録音のオリジナル原盤がほしくなるのが人情である。世界的レベルで極めて希少盤ではあるが、全世界に検索の網をかければ、どこかには存在している。そうやってなんとか入手したのが、カルーソーのレコードGermania(写真)である。約百二十年前のレコード。それが今も現存し立派に音を鳴らしてくれる。それだけで、至福の喜びを与えてくれる。そして実は相当にいい音で鳴ってくれる。

              ★

さてでは発売当時、実際にこれらの音を聞いた人はどんな感想を抱いたのだろうか。

は、本場西欧でもやっと普及しはじめる1905(明治38)年に、すでに日本の東北地方で、蓄音機に接し「天苑の余光の如くにおぼえぬ」と感嘆した文学者がいる。あの石川啄木(1866~1912)である。(例えば、同じ岩手県出身の宮沢賢治はSPレコードで聞く音楽とともにその文学作品を作り上げて行ったことはよく知られているが、その賢治よりさらに10年以上早く啄木は蓄音機の音に接していた。)

それは仙台の土井晩翠の家で過ごしたときのことである。

 

「夜更けての後なり、ふとしたる事より、はしなく談音楽の上に移るや、伯林(ベルリン)よりの土産とか云ふ秘蔵の蓄音機を取り出して、特に我がために数番の曲を撰んで聞かせられたり。

南欧近代の楽聖と云はるゝヰルヂーが『トロバヅウル』の曲もありき。ワグネルが『タンホイゼル』の第三幕、『フアウスト』歌劇中のローマンマーチ、さてはかの名高き『ウヰルヘルム・テル』の管絃楽オーケストラ、『ローヘングリン』の花嫁の進行曲もありき。ロンドンの流行唄(はやりうた)、雷鳴の曲もありき。

生命なき一ヶの機械にすぎざれど、さすがにかの欧米の天に雷らいの如く響きわたりたる此等楽聖が深潭(しんたん)の胸をしぼりし天籟(てんらい)の遺韻をつたへて、耳まづしき我らにはこの一小機械子の声さへ、猶あたゝかき天苑の余光の如くにおぼえぬ。」(啄木 随筆「閑天地」(「岩手日報」明治38年6月〜7月)

 

音楽の話になったら、晩翠はベルリン土産の蓄音機を取り出して、啄木にいくつか曲を聴かせてくれた。蓄音機は命なきひとつの機械に過ぎないのだが、始めて聞く耳にとっては、暖かい天からの余光のようにさえ思われた、というのである。

聞いたレコードは、ヴェルディ「トロバトーレ」、ワグナー「タンホイザー」第三幕、「ファウスト」ローマンマーチ、「ウイリアム・テル」の管弦楽オーケストラ、「ローエングリン」の花嫁の行進曲、ロンドンのはやり唄、雷鳴の曲、なのだという。いったいこれらはどんな音源なのだろうか。あまりに黎明期のことで、資料もほとんど残されていないが想像を巡らせてみよう。

 「荒城の月」の作詞者としても知られている土井晩翠(1871—1952)は、1901年6月から190411月まで英仏独に留学している。とすると、啄木が聴いたSPレコード盤は、190411月以前に発売されたものであるはずだ。晩翠がヨーロッパから持ち帰ったSPレコード盤は、レコード黎明期のごく初期のものであることが分かる。

 こうやって私は、1904年までに発売されたG&T盤で、それに該当するようなレコードをとにかく手当たりしだい世界中から集めてみた。

TANNHAUSER(Wagner) Romance de L’etoile par AUMONIER(タンホイザー 夕星の歌 1901年録音)、・IL TROVATORE(Verdi) Mira DUET(トロバトーレ1904)、・Guillaume Tell(ROSSINI) Garde Republicaine (ウィリアム・テル1904) etc.

もちろん、これらが本当に晩翠と啄木が聞いたレコードだったかどうかは分からないし、また確かめようもない。可能な限りで、彼らの体験を追体験してみたかった、ということなのである。

 さて、この探求の中で、最後まで気になったのが「ロンドンの流行唄(はやりうた)」。1900年初頭に、ロンドンで流行していた曲とはいったいどんなレコードなのだろうか?当時の状況を調べてみる。すると、例えば、トスティーはロンドンの流行唄を当時多く作っていたらしく作詞家サワビーはとても有名だったらしい。例えば「トスティ作曲サワビー歌詞:Love Me」は流行していたようだ。

しかし、この世界に初めて接する東洋人にとって、例えば、盤面文字に、Tosti (Sowerby) Love me と有った場合、これがロンドンの流行唄、という大きな括りの見方ができるだろうか。もしかしたら、と私は次のように想像してみた。

盤面には、London ** Air (ロンドンの**唄)と有ったのではなかったのか? つまり、そこにあったのは、Londonderry Air (ロンドンデリー・エア)という文字だったのではなかろうか。この曲(実は筆者にとって、ヴァイオリンのクライスラーが演奏するこの曲はSPレコードの中で一番の愛聴盤であり、最も大好きな曲である)は、アイルランドの古い無名の民謡だったが、「ロンドンデリーの歌」という曲名が付けられたのは1855年。そしてこのメロディーに「ダニーボーイ」の歌詞が付けられ、その名で呼ばれはじめたのが1913年。つまり、最低でも1855~1913年の間はこの曲は「ロンドンデリーの歌」とついていた。1900年初頭のレコードなら、「London ** Air」という盤面文字はありうる。啄木が聞いたのは「ロンドンデリーの歌」だったのではないのか。

 私は今でもLONDONDERRY AIR と銘記された1904年までに制作されたSPレコードの存在を追いかけているのである。

 18730101_石川啄木が聞いたSPレコード 1 ページ鶴田留美子チラシ2023.9-1

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From  Katherine  Dec. 25th. 1905  (懐中時計Tiffanyの裏蓋に刻印)
 手巻きのアンティークの金懐中時計 。毎日ゼンマイを巻いて置き時計がわりに使っていたのだが、ある日突然、時針(短いほうの針)がフッとずれていた。5°ぐらいだろうか。長針が12時の時に、短針が(例えば)3時と4時の間を指してしまっている。びっくりした。なんで突然そんな急な変化が起こったのか。
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(これは修理後の直った状態)

この時計はヤフオクで十数年前に競り落として、そのままメンテナンスもせずに使いつづけていた。Tiffany社製14K懐中時計で、なにより陶器の文字盤のロゴが気に入っていた。
 一年前、リューズを引き上げたら、そのままスポッと抜けてしまった。真っ青になって、吉祥寺にある、アンティーク懐中時計専門店のM.P に持って行って、全オーバーホールも兼ねてブラッシュアップしてもらっていた。だから、またこのクリスマス間近にこの店に行ってみたのだ。

 店主は、すぐにチェックに取りかかる。「内部は問題がなくて、軸と針の取り付け部分が緩んでいる。。なるほど。軸が逆台形型をしているので、入りがきつく入ると緩くなる構造だ。あまり強く閉めすぎると、今度は外すときに陶器の文字盤に強い力がかかって割れるので、その真ん中を狙わなければならない」など、解説をしてくれながら、さまざまな治具を使用して穴を大きくしたり狭めたり(といってもすべて1mmぐらいの作業である)、また外しては調整し、調整しては取り付けを繰り返す。そんな作業をやっているうちに、この時計がこれまでどんな故障をしてどんな修理をされたがだんだん分かってくるらしい。

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「これは時針と分針と(小さい円の)秒針の間のマージンが取れない構造をしている。うーん、なるほど、そのために風防がすこし高さのあるものに換えられているな。。。ああ、分かりました。時針とこの小さい秒針がその回転の巡り合わせで、ふっと触れて、それで緩んでいる時針がふっと飛んだのでしょう。」なるほど。それで突然針がずれた謎がとけた。まるで地球の自転とハレー彗星の公転があるときにすっと重なってしまったようなことが起こったのだ。
 この時計は長年の修理のたびにいろいろな変化が起こっている。香箱も加工されてしまっていたり、ある部分は半田付けで部品が固定されていたり、とさまざまである。巻き止め機構も、ある修理のときに省略されてしまっている。内部を丹念に見ると、この時計がどんな修理(120年近いのだからおそらく十回以上の修理はなされているだろう)をされてきたかが分かるのだそうだ。

 この時計には、裏蓋の中のダストカバーの上に興味深い刻印がなされている。
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 キャサリンより  1905年12月25日
とあるのだ。英語圏の女性だと思われるが、クリスマスのプレゼントに、このティファニーの金無垢懐中時計をおそらく、男性にプレゼントしたのだろう。 約120年前のクリスマスの出来事だ。
今日はクリスマスイブイブの日だ。キャサリンが(おそらく)購入して男性にプレゼントしたこの時計が、どんな人たちの手を渡り、渡って、いま私の手元にあるのか。どんな修理やメンテナンスを経てきて、この2022年の吉祥寺でクリスマスの時期に直されることになったのか。どんな人たちの時を刻んで、いま私の時を刻むことになったのか。なんとも感慨深いクリスマスである。






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懐中時計の内部のメカニズムまで見える。ひげぜんまいで動く内部は、まるで心臓が鼓動しているようだ。
 

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マーラー九番演奏後。N響・指揮者ブロムシュテット 2022/10/15 (撮影許諾あり)


マーラー交響曲第九番。なんというすごい曲なのだろうか。人間が、その「生と死について」これまで描き表現してきた幾多の芸術作品のなかでも、このマーラーの最後の交響曲は、それを極限まで描ききった人類の最高地点の表現なのではないだろうか。名声を求めたり、嫉妬したり、病に苦しんだり、不機嫌な日々をすごしたりして結局は死にゆく人間が、自らの生と死について、ここまで崇高な形でそれを表現しえたなんて。

これが今日、齢95歳のヘルベルト・ブロムシュテットがN響を振ったマーラー交響曲第九番を聴いて(聴いてというよりは身体全体で体感して)感じた率直な感想だった。
ほぼ神がかった、としか言い様のないようなとんでもない演奏。2楽章がこんなに精緻で美しい楽章だと思ったこともなかったが、やはり白眉は4楽章。重厚な弦楽器の分厚い響きのこの世のものとも思われない美しさ。さまざまな木管楽器や金管楽器が最後は切れ切れに永遠の沈黙の中に消えていくピアニッシモ。死とはこのような形でやってくるのだ、このようにして死に入っていくのだ、というあり方をここまで崇高に描けることがいったいあるだろうか。

実は前の晩、マーラー9番の最高の演奏と目されることもある、バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1985年)のLP初期盤の4楽章を聴いて、鳥肌がたつほど感動してしまっていた。こんな歴史的大名演を聴いてしまって深く感動してしまって、1回勝負のライブと比較したら申し訳ない、と、こんな気持ちで、夕刻のNHKホールに向かったわけだったからである。
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レナード・バーンステイン指揮 マーラー9番4楽章(途中)

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再生装置。アンプは自作でウェスタンエレクトリック社の1920年代制作の真空管を
使用している


 

ブロムシュテットは、最近ではブルックナー7番を結構愛聴していたので、40年近く隔たった同じブロムシュテットを聴くのはとても奇妙な感じではあった。
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しかし、とにかく今日の演奏会は、なにかほんとの一期一会のような、とんでもなくかけがえのない体験をしたように思われたのである。

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